■ 最後の聖域
沢はいい。夏に涼しく、緑美しく、水は澄んで、ロープの出番も豊富だ。登攀は岩と違い、容易だ。水を担がなくても済み、焚火もできる。外界との隔絶度が高く、自然を満喫できる。山の人工化が進む中で、残された最後の聖域だ。
だが、危険が大きい。浮石や水で滑りやすいのは当たり前。足元はすぐに崩れ、ホールドは立木がベストで、細い木の根でも、あればうれしく、草なんてこともある。枯れた茅にすがる羽目になることもある。
滝はぬめり、滑りやすく、既に8mも滑って落ちたことがある。ランニングも取れない。深い淵には溺死の可能性がある。水流には流される。怪我をしてもヘリは来ない。携帯もつながらない。雨になったら焚火もできない。”万が一”は、北アより考えたくない非常事態だ。
沢は明神主稜など易しく感じさせられる。沢では人間の無力さと同時に、生命の力強さも感じられる。
■ 大きな山行
今回は荒川源流をたどる、一泊二日の大きな沢山行だった。行程は大きく分けると3つ。水量の多い本流。沢が名前を変える中流域。そして、快適そうな源流部。当初、核心は、本流だと思っていた。泳ぎがあるのだ。ライフジャケットを用意した。しかし、思いがけない展開で下山核心だった。
■ 水量
初日、本流部は、最初から無し決定だった。被災者も出した大きな台風の後で、水量が非常に多い。迫力の滝を写真に収めながら、単純に登山道を歩く。晴れて気持ちが良い。山が歓迎で微笑んでいるようだ。
■ 入渓
沢沿いの登山道から、沢が見えない為、入渓ポイントを間違わないためには、地形を見る力が必要だ。地図と地形を照らし合わせる。目の前に大きな尾根が見える。その先に顕著な尾根が無い。ここだろうと、アタリを付けて尾根を降りてみる。尾根は、かなり急で苦労するが、降りてみたらバッチリ二股だった。
入渓点では水流は強く水深もあり、さっそくスクランブル徒渉が必要になる。山は我々を追い返しているようには見えないが、この先も甘くはないよ、ということか。
11時、遡行開始。
■ 大髙巻き&懸垂
予想以上に水量が多く難儀する。ガイドブックには、難なく通過できると書かれているゴルジュは、どう見ても無理にしか見えない。両サイドがゴルジュの為、最初から大高巻きする羽目になった。
どんどん登るが、登れば登るほど、降りる地点の判別がつきづらくなる。さっそく一本目の懸垂。トップが降りると姿が見えなくなり、意思疎通が不安になる。セカンドで降りるが、沢での懸垂は自然地形なので、岩での懸垂よりロープの流れを作るのが難しい。まっすぐに降りれるわけがなく、ロープを制御しながら降りる。カラビナ懸垂。屈曲まで来ると、上に様子を伝えた。
とても降りれそうにない、不可能な場所に上からは見えたが、見えるところまで来ると、なんとか後1ピッチで降りれそうだった。ただ安定した太い木まで、あと1mほどロープが足りない。手を伸ばしても届かないので、懸垂のロープにスリングを足し、立木になんとか届き、そちらでセルフを取ってから、懸垂のロープを解除。
最近は、岩で使う60と120ではなく、180のソウンスリングと250の6㎜細引きを持ち歩いている。沢では全然こちらが使える。上に笛でコールし、念のためロープを引いて合図する。次の懸垂は、トップで行く。任されるのはうれしい。
■ シビアな徒渉
再入渓するも、水量が多く、徒渉が困難で、先頭が突破し、フィックスを作る。それでも流されそうな激流だ。
徒渉では流された場合に備え、ザイルはつけないか、もしくは、ザイルを流せる用意が必要だ。
落ちて流されたらどこで止まるか。下を見ると、大きな淵に水が白く泡を吹いている。その下は小滝。小滝までは落ちそうにないが、淵で濁流に飲まれて、溺れ死ぬことは、あるかもしれない。
躊躇していると、水流を和らげるためにトップが盾になってくれた。
覚悟を決めて、ザックのストラップを外す。今夏のほら貝のゴルジュも、水量が多く大変だったが、ここもかなりシビアな徒渉。何とか無事徒渉して、振り向くと、後続の男性も苦労していた。
「最近、上ノ廊下を女性だけで遡行した記録があるんですけど…」と言うと、「ここより上ノ廊下の徒渉の方が易しいと思うよ」との返事。そんなにシビアな徒渉なのか。怖くて当然か。
■ 一難去ってまた一難の初日
出てくる滝はみな水量が多すぎ、巻き決定。左右を見て、巻けそうか、巻くならどこか、最初に相談する。合意が出来てから、トップが登る。フォローでも結構大変だ。
巻いたほうがザレた地面は、足元が崩れやすく、緊張を解くことができない。一難去ってまた一難で、とても無理という箇所が続く。
■ 幕営
この日は結局、計画の場所まで到達する前に、幕営適地が出てきたため、15時で切り上げる。この先1時間以内に適地が出てくるか、当てにならないからだ。
■ 判断と総合力
こうした各種の判断には、経験と知恵が必要だ。一般登山など、経験も何もいらない。いるのは常識だけだ。
豊富な経験が必要な判断力や山の総合力は過小評価され、登頂数の競争や標高の競争、グレードの競い合いといった数値で表現できるような、矮小化された”パーツ”が評価を受ける。
どのルートを取るか?
ロープをいつ出すか?
どう出すか?
ダメだったらどうするか?
その時、敗退はどうするか?
こうした総合的な判断力や戦略に経験値を積み上げることこそ、山という活動そのものだと思う。
自然をよく知らなければ、危険から身を守れない。迂闊だったと死んでしまうのが落ちだ。危険と山とは表裏一体だ。
人が介在することで山は危険なものではなくなる。危険でない山を危険にし、仲間を怪我や危険に陥れる人もいる。山とどう向き合うか?山との対話はそこから始まる。
■ 釣りと焚火と・・・
幕場では、さっそく焚火と食事の用意。タープを張る。みな行動を理解しているので、指示が要らないのが楽だ。ブルーシートが残置されていたので、洗ってきれいにして床面積を広げた。焚火を拾う。
後はお魚釣りにそれぞれがいそしむ。まずは餌の川の虫を捕る。釣りはだいぶ粘ってみたが、釣果は残念ながら無し。初めての釣り。
焚火はビックリするような、大きな木まで燃やした。こんなの燃えるの?と思ったが、無理やりにでも燃やしてしまう。濡れていて、なかなか火が付かないが、焚火がないと寒い。いつも夫が焚火は上手で燃やしてくれるので、夫がいたらよかったのに…と思った。
ご飯も焚火で炊く予定だったが、時間的に燃え盛る火が熾火になるのに、間に合わなかった。
夕食はすき焼き。生卵つき。ビールは一人1缶ふるまわれた。担げる人がいると助かる。あとのお酒は各自。
すっかりリラックスタイムだ。楽しく夜が更け、12時ごろ就寝と山の行動時間としては、だいぶ押した。
シュラフカバーに入る。リーダーのマットは5ミリくらいしかない。本物の山ヤだ。最近のウルトラライトなど目ではない。明け方は寒かった。寒いと感じるころがいつも3時4時で、目が覚めてちょうど良いと言えば、ちょうど良い。
タープ泊は、テントより寒い。でも風が感じられる。沢では様子を感じられるのが大事だ。まだタープ泊は何度目かだが、自分のタープが欲しい。
翌日は少し寝坊し、5時起床。焚火を熾し、豆からひいたコーヒーとご飯。6:40出発。
1時間で当初予定の幕営地に出た。1時間なら、昨日少し頑張っても良かったが、見ると焚火用の薪に乏しかった。
■ 快適な源流部
さらに進む。滝だけではなく、釜が深くても、髙巻きが必要になる。7:50、二股で源流部に入ると、やっと水量が減ってきた。源流部としては多い水量。でも、シビアな徒渉はなく、腰まで濡れても、ロープは出さずに渡れた。水が冷たい。蛇行しているため、何度も徒渉を繰り返す。
沢はどんどん快適度を増してきた。スピードもアップ。本来は特に大高巻など必要なく、すべて楽しく登れて越えられる滝ばかりの沢のはずなのだ。
■ ミニマムバージョンの登攀具
そう思っていたので、私は今回は登攀具を軽量化し、ミニマムバージョンの登攀装備で参加していた。登攀的な沢の時は、初級でも、ハーケン、ハンマー、カムまで持って行く。人数が多ければ30mのロープも入れる。
今回はハンマーは2本あるのが分かっていたし、ハーケン以外は用意していない。スリングもカラビナも2~3と最小。それは登攀的な沢ではないと想定したからだ(実際、滝場はロープを出さなかった)。その代り、泳ぎに備えて防水はしっかりしてきた。
■ 魔がさす
大髙巻きで、大きなルンゼを先頭が行く。長い。ふと魔が刺してしまった。もっと小さく巻けないかと言うと、トップがルートを偵察に行く。
行けるそうだ。セカンドで行って見たら、エライ場所だった。ほぼ垂直にガレたルンゼのトラバース。支点は立木だが、トップはよくこんなところ行ったなと思った。えぐれて、崩落地と言って良い地形だ。恐怖グレードの高い箇所だった。
トラバースなので、ロープクランプで行ったが、クライミングは大変だった。支点を一つ回収して、重いザックの後続が歩きやすいように工夫した。
支点があれば足場がシビア。足場があれば支点がない。足場と支点では支点を選ぶのが、リードする人の心境なのか。
セカンド以降は足場を優先しても、大丈夫そうだった。ぶら下がってもロープが伸びるだけだ。ただセカンドでロープを背負って行けば良かったな、とついてから悔やむ。まだ先があったからだ。大きな立木にセルフを取る。足場は狭く、3人が限度だ。
■ リード
次のピッチをみると、ほぼ直上。支点も取れそうだ。「リードする?」と聞かれたのでいく。サードが背負ってきたロープで、先入れ先出し式に、後続が登ってくる間にリードする。
クライミングは、屈曲すれば、易しくなるが、一度そっちで上がってみたが、ロープの流れが悪く、一度クライムダウンした。
やはりシングルだと直上が良い。となると、被った凹角。登れるんだろうか?そういえば、流れてしまった小同心クラック、写真では、こんな感じだったな。入る前に一ピン取った。
支点はかなり大きな木と根っこでトータル3本取った。あと1mで終了点の足場のある立木なのに、その、あと1mが出ない。20mしかないのだ。岩だとまだまだ出るのに。
しかし、セカンドはスタートしたように見える。仕方なく、セルフを取り、急いで丈夫な木の根っこで支点を作る。しかし、マスト結びをしたが、それにも、シビアなギリギリのロープの長さ。
アンカーが1点では、不安なので、もう1点取りたい。が、ロープの長さがない。それでアンザイレンを解いて、その分で、バックアップを作った。
フォローはビレイではなく、フィックスを頼って登ってくることになるが、分かってくれるだろうか?と不安でいると、ちゃんとプルージックで登ってきた。ラストは張られていないので、登りにくそうだが、直上する凹角は短いので、ごぼうでOKだった。
次のピッチは別の人のリード。短いトラバースだった。ラストで出ると、最初に登っていたルンゼの終了点辺り。なんのことはない、回り道して、危険な想いをして遊んでいただけだった。
ロープを出した分、時間がかかる。10時半になってしまい、貴重な時間のロスのような気がしないでもないが、遊んでしまったなぁ。けれど、かなり面白かった。遊びに来たんだから、遊んでもいいか。時間ロスの心配もあり、トップを先に行かせるため、ロープはラストで登った私がまとめる。2本あると、そういう時短ができるのだ。
支点作成の能力やランナウト、状況の判断力に不安を持たれているときは、リードさせてもらえない。
自分で自分を危険に陥れる可能性がある人と思われていると、リードはできないのだ。救助させられる羽目に陥るのは困るから。
だから、リードを任されたときはうれしかった。任せてくれたのは、山を経験させてやりたいという親心のようなものだと思う。ちょっとした愛情と、それに試験が兼ねてあった。私は合格したのだろうか。
■ 砂岩スラブ
後は、美しい渓相の気持ち良い流れが続く。数か所、短い足ではスタンスが遠く、お助けを出してもらった。順調に沢を遡行する。奥三俣で13時。いよいよツメだ。あと標高差450m。2時間のつもりだから、気分的にかなり楽になる。
少しリラックスして、楽しく沢を遡行する。次々と見どころがあるキレイな滝が出てくる。ぬめっている滝もあったが、おおむね快適な登攀で、楽勝モードで進む。
上は砂岩でスタンスに乏しいスラブ滝が出てきた。トップが落ちる。小川山でこの傾斜なら登れそうとチャレンジしてみる。流芯はスタンスがなく、爪半分の小さなカチが一つあるだけ。サイドプッシュを試みるが、サイドは砂で脆く崩れる。となると、流芯しかなく、バランスクライムになりそうで、靴のフリクションだけが頼りになるので、辞めておいた。
ただこの箇所は髙巻でも、砂岩質の為、トップが落を起し、クライムダウンも難儀していた。私もチャレンジしてみるが、うーん…。岩ならなんとかなると分かるクライミングだが、砂岩は乗ったら崩れそうで、前例がすでにあるので辞めておく。辞めておいて褒められた。
■ ツメ
やがてボサがひどくなり、遡行が苦痛になってくると、沢靴を地下足袋に履きかえ、水を補給していよいよツメ。ツメは苦しい。
毎度のことだが、落石注意。ガレなので、古い石に足を置かないと、新しい石はすぐ落ちてくる。ラクが避けられなくなれば、尾根に逃げ、樹林の中を歩くと、汗が噴き出す。
予想より1時間多くかかり15時に稜線に出た。遊んでしまった分だ。
しかし、ピークと思った箇所は、目指すピーク手前のコルだった。がっかり。ということは、あと標高100ぐらいある。
■ 激藪
しかも行って見たら、密集したしらびその稚樹とシャクナゲの激藪で、先頭とくっついて登らないと閉じた藪をかき分ける手間で、もっと時間を喰ってしまう。
私も藪は経験があるが、この藪は今まで経験した中で、もっとも濃い藪だった。つまり前の人が2m先でも見えないくらいの藪。ハイハイも加え、シャクナゲの枝に乗り、しらびその稚樹で擦り傷を作りながら進む。
この藪には、してやられた。エライこった!という感じだった。ザックの重い人は、もうゲンナリしていた。しかし、切り抜けるしか他にルートはないのだ。頑張るしかない。
しかし、このペースでは…。今夜はもうワンビバーク必要かもしれない。その場合は…と近くの避難小屋を思い浮かべる。この山域に詳しくて良かった。食料は非常食と、その他スープ類やアミノ飲料が余っている。宿泊装備はある。朝、多少すきっ腹で出ても、下りだから平気だろう…、そんなことを考えた。
運よく、最後は密集度が薄くなり、1時間のプラス程度でピークに抜けた。16時。予定は14時~15時だったのに。激藪で1時間アップだ。
■ 下り
あとは下りを残すだけだ。前に私がこの尾根を歩いたときは、意外に時間が掛かった。その時は地図読みしながらだったから、ということもあるか…今回は、すでに来たことがあるから、飛ばして降りよう。休憩を済ませ、16:20、下山開始。
前に来た時は、下りはじめがすごく面白かったが、今回は特に難なく赤布を見つける。面白みには欠けるが、飛ばす。飛ばしているつもりだが、スピードが出ない。みな少し疲れが出ているのだ。
振り向くと「次の三角点まで」と言う。その”次”がなかなか出てこない。暗くなってきた。後続も離れてきた。疲労を見てとったリーダーが一本取ると言う。18時を回っていた。2300から1600まで標高差700を1時間半だ。
辺りが暗くなり、ヘッドライト装着。先頭を歩きだす。5分と経たずにリーダーに「ヤバい」と告げる。後の読図ポイントがまだ少し先だった。
あと少し進んでいたら、考えずに降りれるところだったが、歩きだすとすっかり暗くなってきた。赤布が見えない。いくらも進まないで、立ち往生する。
とりあえず、確実な地点へ戻り、コンパスを設定する。ほぼ南下だ。ただ、そんなことは分かっているので、あまり助けにはならない。
■ 尾根の出だしは難しいと言うこと
尾根の出だしの角度は、通常、微妙すぎて、あまり参考にならないのだ。たいていは少し間違って、正しい尾根が目視で確認できるようになってから、補正する。
だが、もう暗すぎ、補正できない。尾根の下り出しで、ブラックアウトはとてもヤバい。どうする?私には経験がない。考えられるのは、、ホワイトアウトナビゲーションと同じことをするか、ワンビバークして夜明けを待つか。
■ コンパスのこと
コンパスには当て方がある。尾根が入り組んで複雑な場合は、細かくコンパスを当て、小さく地形を拾う。そうしないと助けにならないのだ。
地形的にその場所はまさにそういうところだった。尾根の分岐の下り出しだ。まず、大きく二つの尾根に別れ、すぐに東側の尾根はさらに3つの尾根に分岐して、トータル4つの尾根になる。出だしは、あまり傾斜がない。方角も、どの尾根も最初は似た位置でスタートだ。目的の尾根は西から二つ目。あと距離にして500mで明瞭な防火帯に出るのに…。
■ ルートロス
とりあえず目の前に踏み跡を進む。左か?右か?赤布が充実している尾根だが、暗すぎて見つからない。踏み跡があり、行って見る。
気が付くとトラバースしており、おかしい。尾根に乗っていたらトラバースはない。右から沢音がする。沢音は聞こえてくるなら、左のはずだ。マズイなあ…。まずいよ。立ち止まり、作戦会議。どうする?
■ GPS
まずは地図を見る。そうだ、GPSもある、とスマホを出す。GPSの座標を出そうとするが、座標がすぐ出ない。
節電で機内モードにしていて、前に電波を拾っていたときから丸一日以上経ち、少し前の座標を出しているようだ。まったく参考にならない位置を表示している。
予備電池に接続し、機内モードを解除する。電波を拾い始め、しばらくすると、アンテナが3本立った。ソフトバンク、エライ!自宅に電話して遭難ではないと夫に告げる。19時。
座標で現在地を出したりするが、難しい。すこし、焦りが混じり始める。間違っていることは確実だ。
■ 暗中模索
今いるところはトラバースなので、尾根の上に乗ることにする。ただ斜面が深い茅の藪で、直線的に歩けず、南下が北上になったりする。地形を参考にすることはできないのだ。しばらく、南下ではなく北上したりと、茅の中を、藪が薄い箇所を求めて、文字通り暗中模索する。
■ 直線的ナビゲーションについて
雪山のホワイトアウトナビゲーションでは、非常時の最後の手段は直線だ。非常時ではない、通常の地図読みでは、進路決定はコンパスでしても、見て取れる障害物は迂回する。例えば、藪があれば巻き、巻いた分はルート復帰する。小ピークも同じだ。山の斜面は合理的でないので通らない。
厳密な地図読みでは、ピークとコルだけをつなげる。そして障害物は巻く。しかし、ホワイトアウトではそれができないので、トラバースだろうが、藪だろうが、直線的に進まないといけないのだ。暗闇の上に、困難と危険が倍増。方角だけが頼りだから、仕方がないのだ。
通常そのような進み方は頭が悪い。障害物につっこむと危険が増し、時間が余計かかり、体力を消耗するだけだからだ。
しかし、今回は闇では、それしかない。ホワイトアウトならぬ、ブラックアウトだからだ。
■ GPS起動
GPSが復活し、ルートの軌跡も取れるようになり、現在地が判明する。
やはり、想定通り、ひとつ西隣の尾根に乗ってしまったようだ。
そこで東に方向を修正する。ひどい茅藪。かき分け、かき分け進む。
すると、なんと!コンパスで直進し始めてから、30分しないうちに、見覚えがある場所に出た。
■ ルート復帰
ここは三角点があるピークだ。広く抜けている。防火帯は刈り取られているので、下界の光も星空も見え、森林との境界線がはっきりしている。これで帰れる!とホッとして、冗談を言い合いながら下る。
ルート復帰した時、20時になっていた。東進と決めてからはルート復帰は早かった。1時間半ほど、余計にハラハラさせられたことになる。
本来、明るければ近道も取れた。しかし、ルートの明瞭さは期待できないので、すでに暗くなった時点で、安全を見て、長くても明瞭な方を下山するしか選択肢はない。そのため、下山終了はさらに1時間かかり21時だった。
下山口から20分ほど車道を歩いて駐車場まで戻った。21時20分、登山終了だった。缶コーヒーでお祝いした。
■ ロスタイムについて
16:20のスタートだから、5時間だ。ルートロスしていたのは1時間だが、ヘッデン歩きを加え、トータル2時間余計にかかった。この尾根は、この山域では最も長く、標高差は1100、距離は5~6km。大体登り4~5時間、下り2.5~3時間くらいの尾根だ。
つまり16時半出発では、順調でも最後の1時間はヘッドライトになる。それは、前の行程が押したからだ。2時間は押しているので、トータル4時間は余計にかかったことになる。
今回は最終的に地図読みが必要にならない箇所に来る前に、ヘッデンで歩ける場所に到着していたら、2時間ほど早かっただろう。だが、疲労もあり、ほんの数百メートル手前で日が暮れてしまった。宿泊装備でザックも重かった。予想外の藪漕ぎで体力がだいぶ消耗した。
■ GPSを使わなくなっていたこと
最近、GPSは山行中は、ほとんど無用の長物でログ取り専門だ。自分で地形を読んで歩けるようになったので、現在地の確認には必要がないから、合宿でもない限り、事前に地図をダウンロードしない。山行後の楽しみにログを取るだけだ。
しかし、そうすると、電波が取れるようになるまで、座標は出るが、地図上に現在地が表示されない。電波が取れても動作が遅い。反省して、GPSの地図ダウンロードは、手抜きがないようにしないといけない。しかし、非常時のためにGPSを携帯していて良かった。
平時にGPSで現在地を見る癖をつけると、読図能力が落ちる。しかし、本当に何も見えないときは、短時間で正確な現在地が特定できるだけで本当に助かる。
ブラックアウトすると、現在地特定のための目視情報が何も得られないから、読図ができても、役に立たない。
現在地さえ分かれば、目視情報がなくても、コンパスナビでルート復帰できる。コンパスナビでの復帰に実績がついた。
トップは藪漕ぎ(雪ではラッセル)に集中するので、コンパスは、セカンドがナビする。今回セカンドは私だった。
今回は、山慣れたメンバーで、誰も焦ることなく落ちついていた。私には、こんなことは初めてだった。普段、慎重だからピンチの経験が積めないのだ。
■ 山の言葉
今回は、山がおいでと言っていながら、次々と予想外の試練を課してきた。増水、急流、深い淵、徒渉、髙巻き、懸垂、リードクライム、ルートファインディング、激藪の藪漕ぎ、押す時間、慣れた尾根でのブラックアウト、コンパスナビゲーション…それは、ゆりかごで成長しなさい、という意味だったのか・・・。経験を積めと。
■ 疲労とペースアップのバランス
帰宅したら、23時だった。夫は夕飯を食べないで待ってくれていた。
考えてみれば、私はいつも連れて行く側の責任感の大きさから、慎重で安全マージンを大きく取るので、”良い子の山時間”ばかりだ。18時下山程度の経験も少ない。大抵が15時には山を終わり、16時でちょっと遅いという感覚だ。
一番遅くなったのは、女性の友人とヘッデンギリギリの金峰甲武信の縦走で、14時間歩き、19時ごろ、日暮れスレスレで下山口に着いた。他には夫と11月の西天狗でスレスレ登山した。雪の仙丈ヶ岳では、一瞬だけホワイトアウトしたが、足の強さで切り抜け、夫を急かしたせいで喧嘩したが、結果オーライだった。
思わぬスレスレ登山では、疲労とペースアップのバランスを取るのが難しい。
今回は、15時間近く歩き、今までの最長記録更新だ。
山行前と山行中は、睡眠時間も足りていない。下りは暗かったので慎重に歩き、明るい間に歩くより時間を掛けたと思う。それで正解だったと思う。
思わぬ試練となった、初めての山行だった。