■ 憑きもの
正直な所、私は戸惑っているのである・・・
なぜ、山にこんなに取り憑かれているのか?
そう、”憑”という漢字が当てはまる山への傾倒ぶりで、今朝も青い空がベッドから見えた途端に後悔している・・・なぜ今日山を歩いていないのかしら・・・と。
いつの間にか、山で過ごすことが私自身の幸福の目安になっている・・・時には、13時間の山の後に、早起きして、3時間近くも運転して山に行くのである・・・
ちょっとおかしいでしょう・・・もう一人の自分が言う。
今週くらい休みなさい。秋の衣替えは?
水やりを忘れて放置したベランダの植物の片づけは?
冷蔵庫の掃除は?献立の計画は?そうそう、血液採取して検査に送るのは?
ヨガの友達に電話をしたら?
この散らかった部屋(それもほとんどが山道具・・・デスクの上には何枚もの地図が散乱・・・)なんとかしなさいよ。
そう、心が言う。それに答える。
ああ、すっきり~これで気持ち良く山に行けるわね~
なんて考えているのだ。
用事を片づけ、気楽になると、結局は、また菊池敏之さんの本をフムフムと読んで、女性だけのアンナプルナの挑戦記にため息をつき、まだ見ぬ山の姿を思って、地図に尾根と水線を入れる。
そいでもって、ふと思いついて、また、ベアリング図なんかを書いてしまう・・・。
ひと段落するまでは、食事もしないで。
「肩がこる前に休みましょう」なんて、どの口が言っているのかしら?という訳だ。(私はヨガの先生をしている)
ベアリングがひと段落すると、全体像が見たくなり、地図をつなげる・・・
見逃した核心はどこか?濃すぎて歩けない藪はないか?一体エスケープはどこに取れるのか?
この屈曲した沢は、さぞかし、滝が多いだろう・・・、下りるのがないとすれば、どこが安全圏に最も近いのか?核心は水なのか?
そうこうしているうちに、やっぱり、やっぱり2万5千の地図は必携だと思える。ラージスケールで把握しておく必要を感じるのだ。
それで地図を買う”ついでに”、スーパーでお買い物してくるのだ。うーん、重症。
■ 山とは?
私はただ知りたいのだ。
山って何なの?
もちろん、私が言っている山は、ただ「北岳は日本第二の高峰です」とか、「小川山は花崗岩の岩です」とか、そういうことではない。
「あの人は山のなんたるかを分かっていない」
と言うときの、”山”だ。
八甲田山の”死の彷徨”は、山が分かっていないことで起きた大量遭難だった。あまり知られていないが、この山行には、別部隊がいた。その部隊は同じような山行をして、一人の落伍者も出さず、帰ってきている。
両者の違いは、抽象的な言い方だが、
山を分かっていたかどうか?
だ。中身は同じ山なのに、これほどの開きが出るのが、山なのだ。
もっともよく山を分かっている人は誰なのだろうか・・・?マタギなのか?猟師なのか?
山を生活拠点にするだけでは、山のことを何にも知りえない、ということは、山小屋でしばらくだが、バイトしてみて分かった。
私が一番びっくりしたのは、山に働いて、誰も外を見ないことだった。毎朝、3時半に外に出て、外の空気を吸っているのは私だけだった。雨の日も、風の日も、外に出なくては、登山者に的確なアドバイスはできない、と思ったのに、ネットで配信される天気予報を張り出してお終い。
日帰りの山を重ねても、山の一面しか知りえないことも分かった。温かいお天道様の下に、お弁当を広げて、「山っていいね♪」っていうのは、軽薄短小に感じる。
そんなシチュエーションで良くないハズがないでしょう。同じ場所で雨に降られ、風に叩かれ、闇夜が来たら、「山っていいね」どころか、山なんてコリゴリと思うはずだ。
昨日はスーパームーンだった。子供の頃、月に慰められて生きていた。我が家はとても貧しく、それを解消する手段も子供だから何もなく、ただひたすら耐える日々。それでも、月は美しい。
夏の暑い日に、夜中にベランダから外へ出る。そして、飽くまで、月を眺める。地球の裏側でも同じ月だと言うことを考える。清少納言の時代も同じ月だと言うことを考える。
自然の普遍性を思うと、人間的問題は大したことではないように思えることが多い。月明かりは優しく、不変だ。
樹木に心を寄せることで、人は生きることができる。毎日の登校で、挨拶をする木があった。イジメや理不尽が積み重なると、その木の下へ行く。彼は何が起こったか?見て知っているから、平気だと思う。
九州の台風はすごい。閉じて鍵を掛けたアルミサッシから雨が室内ににじみ出るような雨だ。その中、弟とベランダで滝行のように、雨に打たれる。何もかもずぶぬれで、ひどい格好だが、何かが洗い流されるように清々しい。遠くで稲妻の蒼いラインが見える。美しい。恐ろしいような気もするが、それでも目が離せない。ギュッと彼の手を握る。その手は握り返される。
でも、少年自然の家なんかのキャンプサイトは大キライだった。ニセモノ、と子供の私は切り捨てていたのだ。
今では人間が丸くなり、人の弱さを許せるようになり、ニセモノにも寛容になった。
だからと言って、ニセモノが分からないわけではない。
9/28/2015
焚火とお転婆
■ 秋のお支度
今日は、甲府はやっと連続2日の晴れで、秋の支度に忙しくしている。
秋風がそろそろ冷たい。でも、私は肌が弱い。衣替えも、洗い立てのフレッシュなもの以外は、着れない。
今年の9月はとても雨が多かったから、こんなに、のんびり晴れた日は貴重で、今はホントは岩にでも行きたい気分。
とはいえ、衣替えという後方支援が追い付いていないと、気持ち良く山にも行けない。
■ 小さな炭火
フリークライマーのモウアラさんご夫婦が、小川山で炭火焼きをしてくれた。
じゃん!
五徳をL字金具で作り、土台は、なんと蒸し器。あの羽が重なって小さくなるヤツだ。
へぇ~と思った。そういえば、レストランでも、小さな火鉢に墨を入れてくれることがある。
私も冬に自宅で、火鉢に挑戦したくて、実は家に豆炭入れがある。マンションだと庭がなく、色々ネックで使ったことがないけど。
”焚火”と言えば、地面から直接する焚火を思っていたので、卓上炭火、というアイディアに驚いた。
小川山は焚火OKだけれども、最近はキャンプ場では、焚火の跡を嫌うのか、直火NGのところもある・・・。
モウアラさんたちは、そう、実はテーブルや椅子を用意してくれていたのにも、新鮮さを覚えた。山ヤには考えられない高級装備だからだ(笑)。
でも、よく考えたら、アメリカでも、オーストラリアでも、友人たちは、自宅の庭で、炭火を起こしてバーベキューでもてなしてくれたし、日本の農家でも、半割りにしたドラム缶で、焚火して、焼きそばパーティをしてもらった。
火には容器があるのが、一般的には普通のことかもしれない。
■ ノーと言わない
小川山と言えば、登山を始めた頃、金峰山に登りに行き、たまたま、クライマーと隣り合わせになって、仲良く、赤ワインを空けたことがある。
その人たちは結構ベテランだった。翌日その人たちが小川山物語に取り付いて、岩に張り付いているのが登山道から見え、びっくり仰天&戦慄・・・(><) (もちろん、当時はそれが小川山物語という課題だとは知らない)
今では、そうやって岩に張り付くのに、ビレイヤーがいないと文句を言っているのだから、人生とは面白いものだ。
フリーから山に入っても、アルパインから山に入っても、山は山だし、結局は同じところに収束して行く。
出会うべき人に出会っていくのだろう。
フリーにはフリーの楽しみが、アルパインにはアルパインの楽しみが、沢には沢の楽しみがある。
金峰山を初めて登る、一般登山者でしかなかった、あの当時、一目で恐怖に震えたフリークライミング・・・。
8~9割の登山者がそうするように、挑戦もせずにノーと言っていたら・・・
・・・今ある私はないだろうなぁ。
モウアラさんたちに沢でやる、大きな火を見せてあげたくなった。実は、煮炊きも焚火でしてしまうんですよ。ただ鍋は猛烈にくたびれますが。
テーブルもなく、椅子もなく、ただあるのは、沢のせせらぎと、真っ黒で大きくのしかかるような山の稜線、漆黒の森、谷間に見える、たくさんの星・・・。
小川山で焚火になれたら、ぜひ沢を案内したいと思った。焚火を愉しむために沢に来て欲しいなぁ・・・と思ってしまった。
岩も沢を詰めた奥にあることが多いですしね。”なんとか奥壁”とかよく言う。
■ 荒川源流の大きな焚火
そういえば、先日、荒川源流を旅したとき、ものすごく大きな焚火を作った。それも、結構カルチャーショックだった。
薪は、私の背丈を越え、直径にして、20cmもあるような、太い丸太も燃やしてしまう。
普段、作る焚火が”犬小屋サイズ”とすると、この時の焚火は、”畳み一枚分”くらいあった。
小川山でやったら、周囲のキャンパーたちに大注目を浴びるだろう、という大きさだ。
ただ問題は、湿った薪に火をつけるのはとても難しいこと。
なんとガスバーナー登場。我が家では、畑をしていたときに害虫退治に一役買った道具だ。本当は、クレームブリュレのキャラメリゼ部分に使う予定で買ったのだけど・・・(笑)。
ガスバーナーを見て、夫の元君なら、絶対に文句を言うだろうな、と思った。
・・・というのは、夫はボーイスカウト歴が長く、焚火とみると、それこそ、火がついてしまうみたいで、新聞紙1枚どころか、半分で確実に着火することを自分に課しているから。
元君ならきっと、何が何でも、道具なしでつけようとしてくれる。実は、熱い男なんである。
■ かまど
前に、御室小屋に行った時、彼は、頼まれもしないのに、かまどもこしらえてくれ、すっかり、鍋パーティになった。
後で一緒に行ったガイドの三上さんが愚痴るので、聞いたら、ホントは焚火は温まるだけのつもりで、実は、調理はガスでやる予定だったのだそうだ。
ガイドさん曰く、「鍋は誰が洗うの・・・?」
そう、焚火で調理すると、鍋がすっかり年季入りになる。
私も滝川にビリー缶を持って行ったら、とってもいい感じにくたびれた。実は気に入っている。なんでも、新しいものは、あまり好きでないからだ。古いものが好き。
御室小屋は、廃屋で、焚火にちょうど良い廃材が、薪を集める労せず手に入る。3月だから、テントにしたが、沢では普通は、タープだ。重くても平気な人は、ブルーシートで事足りる。
■ 焚火ごろ寝
荒川源流では、タープで寝たのだが、思えば、焚火の傍で、ごろ寝してみればよかった。シュラフカバーが穴だらけになるかもしれないけれど・・・。焚火で、すでに私のテントには穴が開いている。
自分自身の焚火は、今夏は伝丈沢で5月に、女性の友人と二人でやって、とても楽しかった。
こっちの薪は、まだ梅雨前だし、山梨の乾いた冬から、春に空けてすぐなので、薪がカラカラに乾いており、燃えすぎるくらいよく燃え、延焼が不安なほどで、石で防火帯を作ったくらいだった。
女の子二人の冒険隊・・・とっても楽しかった。
お転婆?
私は小さいころ、そんな言葉とは無縁に育った。
家庭では、小さな母親として家事に忙しく、学校では優等生として、委員長やキャプテンを二つも三つもこなす超多忙な子供時代だった。多忙の間をぬって、読書に現実逃避。
だから、そびえたつ滝を前にして、どう登ろうかとルートファインディングしている時、「滝登りするなんて、やっぱりお転婆だよ」と言わて、ちょっと褒め言葉に聞こえたりした。
そっか、これってお転婆なんだ。
滝場は沢では必至だから、必死(笑)。
私がトップを行くのは・・・、登れる!と・・・つまり、登攀力がある!と思っているからでは、ないかもしれない・・・
・・・でも、とはいえ、私が行かなくては、誰が行くの?とは思っているかもしれない。
やっぱりお転婆?
今日は、甲府はやっと連続2日の晴れで、秋の支度に忙しくしている。
秋風がそろそろ冷たい。でも、私は肌が弱い。衣替えも、洗い立てのフレッシュなもの以外は、着れない。
今年の9月はとても雨が多かったから、こんなに、のんびり晴れた日は貴重で、今はホントは岩にでも行きたい気分。
とはいえ、衣替えという後方支援が追い付いていないと、気持ち良く山にも行けない。
■ 小さな炭火
目からウロコの発想?! |
じゃん!
五徳をL字金具で作り、土台は、なんと蒸し器。あの羽が重なって小さくなるヤツだ。
へぇ~と思った。そういえば、レストランでも、小さな火鉢に墨を入れてくれることがある。
私も冬に自宅で、火鉢に挑戦したくて、実は家に豆炭入れがある。マンションだと庭がなく、色々ネックで使ったことがないけど。
”焚火”と言えば、地面から直接する焚火を思っていたので、卓上炭火、というアイディアに驚いた。
小川山は焚火OKだけれども、最近はキャンプ場では、焚火の跡を嫌うのか、直火NGのところもある・・・。
モウアラさんたちは、そう、実はテーブルや椅子を用意してくれていたのにも、新鮮さを覚えた。山ヤには考えられない高級装備だからだ(笑)。
でも、よく考えたら、アメリカでも、オーストラリアでも、友人たちは、自宅の庭で、炭火を起こしてバーベキューでもてなしてくれたし、日本の農家でも、半割りにしたドラム缶で、焚火して、焼きそばパーティをしてもらった。
火には容器があるのが、一般的には普通のことかもしれない。
■ ノーと言わない
小川山と言えば、登山を始めた頃、金峰山に登りに行き、たまたま、クライマーと隣り合わせになって、仲良く、赤ワインを空けたことがある。
その人たちは結構ベテランだった。翌日その人たちが小川山物語に取り付いて、岩に張り付いているのが登山道から見え、びっくり仰天&戦慄・・・(><) (もちろん、当時はそれが小川山物語という課題だとは知らない)
今では、そうやって岩に張り付くのに、ビレイヤーがいないと文句を言っているのだから、人生とは面白いものだ。
フリーから山に入っても、アルパインから山に入っても、山は山だし、結局は同じところに収束して行く。
くたびれたビリー缶 蓋との比較に注目! |
出会うべき人に出会っていくのだろう。
フリーにはフリーの楽しみが、アルパインにはアルパインの楽しみが、沢には沢の楽しみがある。
金峰山を初めて登る、一般登山者でしかなかった、あの当時、一目で恐怖に震えたフリークライミング・・・。
8~9割の登山者がそうするように、挑戦もせずにノーと言っていたら・・・
・・・今ある私はないだろうなぁ。
モウアラさんたちに沢でやる、大きな火を見せてあげたくなった。実は、煮炊きも焚火でしてしまうんですよ。ただ鍋は猛烈にくたびれますが。
テーブルもなく、椅子もなく、ただあるのは、沢のせせらぎと、真っ黒で大きくのしかかるような山の稜線、漆黒の森、谷間に見える、たくさんの星・・・。
小川山で焚火になれたら、ぜひ沢を案内したいと思った。焚火を愉しむために沢に来て欲しいなぁ・・・と思ってしまった。
岩も沢を詰めた奥にあることが多いですしね。”なんとか奥壁”とかよく言う。
■ 荒川源流の大きな焚火
そういえば、先日、荒川源流を旅したとき、ものすごく大きな焚火を作った。それも、結構カルチャーショックだった。
薪は、私の背丈を越え、直径にして、20cmもあるような、太い丸太も燃やしてしまう。
普段、作る焚火が”犬小屋サイズ”とすると、この時の焚火は、”畳み一枚分”くらいあった。
小川山でやったら、周囲のキャンパーたちに大注目を浴びるだろう、という大きさだ。
ただ問題は、湿った薪に火をつけるのはとても難しいこと。
なんとガスバーナー登場。我が家では、畑をしていたときに害虫退治に一役買った道具だ。本当は、クレームブリュレのキャラメリゼ部分に使う予定で買ったのだけど・・・(笑)。
ガスバーナーを見て、夫の元君なら、絶対に文句を言うだろうな、と思った。
・・・というのは、夫はボーイスカウト歴が長く、焚火とみると、それこそ、火がついてしまうみたいで、新聞紙1枚どころか、半分で確実に着火することを自分に課しているから。
元君ならきっと、何が何でも、道具なしでつけようとしてくれる。実は、熱い男なんである。
■ かまど
かまどで鍋! |
後で一緒に行ったガイドの三上さんが愚痴るので、聞いたら、ホントは焚火は温まるだけのつもりで、実は、調理はガスでやる予定だったのだそうだ。
ガイドさん曰く、「鍋は誰が洗うの・・・?」
そう、焚火で調理すると、鍋がすっかり年季入りになる。
私も滝川にビリー缶を持って行ったら、とってもいい感じにくたびれた。実は気に入っている。なんでも、新しいものは、あまり好きでないからだ。古いものが好き。
御室小屋は、廃屋で、焚火にちょうど良い廃材が、薪を集める労せず手に入る。3月だから、テントにしたが、沢では普通は、タープだ。重くても平気な人は、ブルーシートで事足りる。
乙女の焚火 |
荒川源流では、タープで寝たのだが、思えば、焚火の傍で、ごろ寝してみればよかった。シュラフカバーが穴だらけになるかもしれないけれど・・・。焚火で、すでに私のテントには穴が開いている。
自分自身の焚火は、今夏は伝丈沢で5月に、女性の友人と二人でやって、とても楽しかった。
こっちの薪は、まだ梅雨前だし、山梨の乾いた冬から、春に空けてすぐなので、薪がカラカラに乾いており、燃えすぎるくらいよく燃え、延焼が不安なほどで、石で防火帯を作ったくらいだった。
女の子二人の冒険隊・・・とっても楽しかった。
お転婆?
私は小さいころ、そんな言葉とは無縁に育った。
家庭では、小さな母親として家事に忙しく、学校では優等生として、委員長やキャプテンを二つも三つもこなす超多忙な子供時代だった。多忙の間をぬって、読書に現実逃避。
だから、そびえたつ滝を前にして、どう登ろうかとルートファインディングしている時、「滝登りするなんて、やっぱりお転婆だよ」と言わて、ちょっと褒め言葉に聞こえたりした。
そっか、これってお転婆なんだ。
滝場は沢では必至だから、必死(笑)。
私がトップを行くのは・・・、登れる!と・・・つまり、登攀力がある!と思っているからでは、ないかもしれない・・・
・・・でも、とはいえ、私が行かなくては、誰が行くの?とは思っているかもしれない。
やっぱりお転婆?
自然のままのゴキゲンな幕場 ここは小屋跡かもしれない |
9/24/2015
奥秩父 滝川 金山沢・曲沢
■ シルバーウィーク
シルバーウィークはよく遊びました♪ ちょっと遊びすぎでないかい?とは思いましたが、登山やクライミングに関しては、時機が揃うことは、なかなか難しいので、揃ったら、多少無理しても、出かけてしまうに限ります。
■ ありふれた名
金山沢っていう沢は、日本に一体何本あるんだろう???
ちなみにカシミールで検索すると、ヒット数は、74件だ(笑)。さらに、下山に使った曲沢も、ありふれた名で、53件のヒット。
・・・というわけで、金山沢も、曲沢も、沢の名前としてはありふれている。
今回の滝川支流の金山沢と曲沢は、和名倉山の西面の沢だ。
後日談: 金山沢という名前は鉱山と関係があるという指摘を受けて、検索すると面白い記述に当たりました。
とにかく沢登り
山梨の金山について調べる
・・・ゴンザの滝の手前の幕営地は小屋跡だったのだろうか? 小屋跡とあるのは鉱夫むけの小屋だったのだろうか・・・
■ 予想
この沢は、日帰りのロングルートだった。行程は20km。まだ、ちゃんとした検証が済んでいないが・・・
1)読図して、10時間程度と見積もった。
2)ガイドブックに照らし合わせると、ガイドブックでも同じようだった
3)沢の性格としては癒し系で、ハラハラするところはないはずだったが、しょっぱなから、ロープが出た。
4)13時間かかった・・・
・・・というわけで、予想と現実のギャップが課題となった山行だった。
実は、前の沢で水量が多く、予想以上のコースタイムがかかったので、今回も同じ山域で、予想を上回るコースタイムがかかるのではないか?と警戒はしていた。
翌日の山行は、帰り次第としてもらったくらいだ。もし、下山が遅れて、23時になれば、翌日の3時起きなどは絶対にありえない。
コースタイム感覚で言うと、普通の山や本チャンでも、今では、予想したコースタイムから大きく離れることはほとんどなくなった。自信を深める理由だ。
ところが、沢山行では、コースタイムの読みは、ゼロからの出発で、今までの経験は生きず、非常に難しい。今から積み上げる要素だ。
■ 行程管理 読図ミス
核心は、下山では・・・と予想していたが、核心は、行程管理だった。
また、私はツメの地図読みで、コルに尽き上げる左俣を一つ見落とし、となりの尾根に突き上げてしまい、おそらく、1時間ほどは、行程がアップしてしまった。
つめの地図読みで、まだ読み込みが足りていなかったのだ・・・(--;)。すみません。
ルート維持は、細心の用心が必要だということだ。
しかし、現地では、その二股、1520の標高辺りにも見当たらなかったんだけどなぁ・・・。行程が押し、少し急いで歩いた結果、見落としにつながった可能性もある。そう、急いでいたのだ。
1:3とか、書いてある場合、水量の少ないほうの沢に入る予定の時は用心が必要だ。たいていが二股に来れば、判断するのだが、今回はその地形的特徴が見当たらないままに、あるいは見落として、進んでしまい、気が付いたらだいぶ先に進んでいた。
念のため、休憩は、時間ではなく、地形のポイントでするのが良いかもしれない。
■ 詳細
朝5時に集合。 出会いの丘。集合時間は行程が分かっていると、納得感を深めることが多い(笑)。
だから、集合時間に不満があるときは、たぶん、行程が把握されていないのだ。
出会いの丘はトイレはあったが、自販機はなかった。
ここから、黒岩林道を少し歩き、途中で、滝川と金山沢の出合いに降りる。
魚釣り?のお兄さんに出会う。
この降りる尾根を見出すのが、最初の難関。
ここはベテランが下降ポイントを指摘。
初見だと、下降ポイントの発見が、核心になりそう。
尾根自体は降りやすかった。
地形図では尾根の末端は崖になっている。
最初はゴルジュで始まるのだが、せっかくトップを任せてくれたのに、しょっぱなから、判断の難しい箇所に当たってしまう・・・
こんなの・・・どうします???
どっちにも巻けそうになく、直登が一番安全そう。さらに奥にも滝がある場合、大高巻きかもしれない。
本日の核心部。
ここはトップで途中まで行くものの、長いトラロープが出ており、クライミングは登れるが、後続はどうするよ?という箇所だ。
振り子トラバースのようになる1か所の固定の、フィックスロープでは、一人は通れても、残りのメンバーは、そのロープが前に出てしまっては通れない。
ロープを連結して後続が手繰れるようにするか、
2点のフィックスにしてトラバースを作るかしないと、安全に通過できない。
結局ベテランに先行してもらったら、なんと支点はハーケンだった・・・
やっぱり私の手におえない箇所だった。
しかし、ちゃんとハンマーを持っていたが、セカンドで行ったので、回収担当はできなかった。
最後尾で行くべきだったと反省中だ。
ここはしょっぱいクライミングだったとベテランもびっくりしていた。
そんな難しい箇所が出る沢の要には書いていないのだ。
下部が6mの直瀑になっている10m滝。
あとはずっと癒し系になり、こんな感じで、楽しい滑が続く。
葉っぱがみずみずしく美しかった。
トップで歩くと、なぜか後続で歩くより、楽で、後続だとなぜか頑張ることになる。
たぶん、スピードは変わらないと思う。
どうしてなのか不思議。
だから、今回はいっぱい写真が取れた。
後続も最初の人が登るのを待つから、待っている時間はあるけど、自分の登る版が来る前に、写真を撮る気にはなれないのかもしれない。
山は一番前を歩くのが一番楽しいような気がする。
これはツメの左股に入ったあたりかな?
下山での曲沢二股。
下りの滝川右岸山道は、一か所分岐が分かりづらく、大きな丸太が転がって道をふさいでいる方は、丸太の当たりで、踏み跡が消える。
その手前に尾根を下る分岐があり、下ると吊り橋がある。
吊り橋を渡れば、すぐかと思いきや、少々の登りで、車道までが長く感じさせられる。
車道から、徒歩30分だが、車を一台デポしてくれていたので、その分が5分で済み、ホッとする。
この下山の川叉までの山道は、迷いやすい。
あとでGPS軌跡を見たが、それでも分岐がはっきりはしなかった。
ヤマレコで、GPSのログを掲載したが、一体分岐はどこなのか?良く分からない。
ただ、金山沢左股のツメで、1520で左股に入るポイントを見落としたのは、明瞭に分かる。
予習でも見落としたポイントだった。
シルバーウィークはよく遊びました♪ ちょっと遊びすぎでないかい?とは思いましたが、登山やクライミングに関しては、時機が揃うことは、なかなか難しいので、揃ったら、多少無理しても、出かけてしまうに限ります。
■ ありふれた名
金山沢っていう沢は、日本に一体何本あるんだろう???
ちなみにカシミールで検索すると、ヒット数は、74件だ(笑)。さらに、下山に使った曲沢も、ありふれた名で、53件のヒット。
・・・というわけで、金山沢も、曲沢も、沢の名前としてはありふれている。
今回の滝川支流の金山沢と曲沢は、和名倉山の西面の沢だ。
後日談: 金山沢という名前は鉱山と関係があるという指摘を受けて、検索すると面白い記述に当たりました。
とにかく沢登り
山梨の金山について調べる
・・・ゴンザの滝の手前の幕営地は小屋跡だったのだろうか? 小屋跡とあるのは鉱夫むけの小屋だったのだろうか・・・
■ 予想
この沢は、日帰りのロングルートだった。行程は20km。まだ、ちゃんとした検証が済んでいないが・・・
1)読図して、10時間程度と見積もった。
2)ガイドブックに照らし合わせると、ガイドブックでも同じようだった
3)沢の性格としては癒し系で、ハラハラするところはないはずだったが、しょっぱなから、ロープが出た。
4)13時間かかった・・・
・・・というわけで、予想と現実のギャップが課題となった山行だった。
実は、前の沢で水量が多く、予想以上のコースタイムがかかったので、今回も同じ山域で、予想を上回るコースタイムがかかるのではないか?と警戒はしていた。
翌日の山行は、帰り次第としてもらったくらいだ。もし、下山が遅れて、23時になれば、翌日の3時起きなどは絶対にありえない。
コースタイム感覚で言うと、普通の山や本チャンでも、今では、予想したコースタイムから大きく離れることはほとんどなくなった。自信を深める理由だ。
ところが、沢山行では、コースタイムの読みは、ゼロからの出発で、今までの経験は生きず、非常に難しい。今から積み上げる要素だ。
■ 行程管理 読図ミス
核心は、下山では・・・と予想していたが、核心は、行程管理だった。
また、私はツメの地図読みで、コルに尽き上げる左俣を一つ見落とし、となりの尾根に突き上げてしまい、おそらく、1時間ほどは、行程がアップしてしまった。
つめの地図読みで、まだ読み込みが足りていなかったのだ・・・(--;)。すみません。
ルート維持は、細心の用心が必要だということだ。
しかし、現地では、その二股、1520の標高辺りにも見当たらなかったんだけどなぁ・・・。行程が押し、少し急いで歩いた結果、見落としにつながった可能性もある。そう、急いでいたのだ。
1:3とか、書いてある場合、水量の少ないほうの沢に入る予定の時は用心が必要だ。たいていが二股に来れば、判断するのだが、今回はその地形的特徴が見当たらないままに、あるいは見落として、進んでしまい、気が付いたらだいぶ先に進んでいた。
念のため、休憩は、時間ではなく、地形のポイントでするのが良いかもしれない。
■ 詳細
朝5時に集合。 出会いの丘。集合時間は行程が分かっていると、納得感を深めることが多い(笑)。
だから、集合時間に不満があるときは、たぶん、行程が把握されていないのだ。
出会いの丘はトイレはあったが、自販機はなかった。
ここから、黒岩林道を少し歩き、途中で、滝川と金山沢の出合いに降りる。
魚釣り?のお兄さんに出会う。
この降りる尾根を見出すのが、最初の難関。
ここはベテランが下降ポイントを指摘。
初見だと、下降ポイントの発見が、核心になりそう。
尾根自体は降りやすかった。
地形図では尾根の末端は崖になっている。
これは滝川。出合いでは、この左に入る。 |
こんなの・・・どうします???
どっちにも巻けそうになく、直登が一番安全そう。さらに奥にも滝がある場合、大高巻きかもしれない。
本日の核心部。
ここはトップで途中まで行くものの、長いトラロープが出ており、クライミングは登れるが、後続はどうするよ?という箇所だ。
振り子トラバースのようになる1か所の固定の、フィックスロープでは、一人は通れても、残りのメンバーは、そのロープが前に出てしまっては通れない。
ロープを連結して後続が手繰れるようにするか、
2点のフィックスにしてトラバースを作るかしないと、安全に通過できない。
結局ベテランに先行してもらったら、なんと支点はハーケンだった・・・
やっぱり私の手におえない箇所だった。
しかし、ちゃんとハンマーを持っていたが、セカンドで行ったので、回収担当はできなかった。
最後尾で行くべきだったと反省中だ。
ここはしょっぱいクライミングだったとベテランもびっくりしていた。
そんな難しい箇所が出る沢の要には書いていないのだ。
下部が6mの直瀑になっている10m滝。
あとはずっと癒し系になり、こんな感じで、楽しい滑が続く。
葉っぱがみずみずしく美しかった。
トップで歩くと、なぜか後続で歩くより、楽で、後続だとなぜか頑張ることになる。
たぶん、スピードは変わらないと思う。
どうしてなのか不思議。
だから、今回はいっぱい写真が取れた。
後続も最初の人が登るのを待つから、待っている時間はあるけど、自分の登る版が来る前に、写真を撮る気にはなれないのかもしれない。
山は一番前を歩くのが一番楽しいような気がする。
これはツメの左股に入ったあたりかな?
下山での曲沢二股。
下りの滝川右岸山道は、一か所分岐が分かりづらく、大きな丸太が転がって道をふさいでいる方は、丸太の当たりで、踏み跡が消える。
その手前に尾根を下る分岐があり、下ると吊り橋がある。
吊り橋を渡れば、すぐかと思いきや、少々の登りで、車道までが長く感じさせられる。
車道から、徒歩30分だが、車を一台デポしてくれていたので、その分が5分で済み、ホッとする。
この下山の川叉までの山道は、迷いやすい。
あとでGPS軌跡を見たが、それでも分岐がはっきりはしなかった。
ヤマレコで、GPSのログを掲載したが、一体分岐はどこなのか?良く分からない。
ただ、金山沢左股のツメで、1520で左股に入るポイントを見落としたのは、明瞭に分かる。
予習でも見落としたポイントだった。
9/20/2015
沢の予習 私の現在の方法
今回の連休は、楽しいイベントが多く、うれしい。
■ 予習
山行に行くときは、いつも予習して行く。山に行くときと同じだ。 (岩はまだ予習の仕方が、良く分かりません・・・)
山なら距離や標高差を考え、どこで何時なのか、計画して行くだろう。
私は、地図でスタートする。地図でスタートしないで、先にガイドブックを見ると、印を追う赤布依存登山と似たことになってしまう。沢でも山でも、地図でスタートするほうが楽しいと思う。
■ 沢の予習
沢の予習はこのようにしている。
1)地図印刷 行程を把握する (沢の出合い、顕著なピーク、つめの標高差)
2)入渓点チェック
3)核心部チェック (滝場、滑、崩落など危険個所)
4)下山の地図読みチェック
5)遡行図を地図に書き写す
6)2股、大きな滝、沢の屈曲点の標高を書き入れる
7)総合して装備を考える
★4)下山の地図読みでは、手抜かりが発生しがちだ。大体ガイド本には、登山道を使う指示が多く、一般道のような登山道だと、気が抜けて、道は明瞭だから・・・と調べないで行ってしまう。
それでも、もし地図読みになると、地図読みでは、尾根の下りは難しい部類に入る。
エスケープも考慮に入れないといけない。退路を常に維持するのが大事だ。
★6) 遡行図&標高
遡行図を地図に書き写すと、大体、地形的にどこに何が現れそうかが、漠然とでも頭に入る。
★7)装備は、保守めにいつもしている。
・ロープ: 人数が多ければ、自前のロープを入れる。
・5人なら3本。4人なら2本。
・登攀用の三つ道具: 滝場の難易度と人数、メンバー内容を見ていれる。
・ハンマーは1パーティに2つ必要
・スリング類: 自分のお助け用。髙巻きが多いと、ちょっとしたところで自分で自分のために欲しいかもしれない。
・食料の量: 日帰りだと、うっかり少なくしてしまうが、日帰りでも長いコースだと、余分にあるほうが良い。思わぬ増水で、長時間行動を強いられることがある。
・その他: 虫除けネットは季節柄、要らないと思ってもあるほうが良いかもしれない。
・ツエルト: ツエルトかビバークシートで済ますかも、日帰りで楽な沢ならシートで済ませていたが、同じ日帰りでも長いルートはツエルトを持つと、心の安心が増える。
■次回の沢の予習
1)取り付き 2パートに別れる 40 +40 =1.5H
1.黒岩尾根へ。1428から派生する6つの尾根の5つ目、ほぼ東に派生する長い尾根に乗る。4つ目の尾根もほぼ同じ方角だが、6つめの尾根の方角は東南で全く異なる。また1428ピークの位置が見えれば、背後に回れば行きすぎ。30~40分で尾根取り付き。滝川対岸の1204が見えれば、それを目指すが、正面ではなく、左手側に見える尾根に出る。顕著な地形的目印がなく迷いやすい。出会いに差し込む尾根が右手側にある。
2.尾根下降~滝川出会い。尾根下降距離1km弱、標高差約400で40分ほど。滝川出会いまで休憩込みで2時間。
2)遡行 3つのパートに別れる。0.5h+1H+1H+ツメ1H=約4H
1.ゴルジュ~方角を変えるまで
・しばらくゴルジュ。15分で支沢の流入。30分程度で沢は和名倉方面へ方角を変える。ゴルジュが続く。
2.顕著な屈曲(左)まで。
・左岸が壁
・中間部で、右岸に小屋跡
3.~二股まで
・1:3で左俣に入り、1682のコルへ。標高差約300ほど。
3)下山 下山は2つに分かれる
1.曲沢部 2H
・1682から2叉①へ、20分。
・さらに下り、二叉②へ。曲沢は西を向くようになる。
・次の二股③まで、トータル2Hほど。2叉を過ぎると河原が広くなる。右岸に山道を見つける
2.滝川右岸山道(廃道)1.5H
・3つめの二叉を過ぎてから、山道に乗る。不明瞭なので注意。
・曲沢滝川出会いがはるか下になる 急斜面のトラバース
・途中川叉方面への分岐がある
・吊り橋あり
取付2時間、遡行4時間、下山4時間、トータル約10時間。
・・・という予習結果になった。
核心は、遡行よりもむしろ下山のルートファインディングのようだ。
この予想は当たるだろうか・・・
■ 予習
山行に行くときは、いつも予習して行く。山に行くときと同じだ。 (岩はまだ予習の仕方が、良く分かりません・・・)
山なら距離や標高差を考え、どこで何時なのか、計画して行くだろう。
私は、地図でスタートする。地図でスタートしないで、先にガイドブックを見ると、印を追う赤布依存登山と似たことになってしまう。沢でも山でも、地図でスタートするほうが楽しいと思う。
■ 沢の予習
沢の予習はこのようにしている。
1)地図印刷 行程を把握する (沢の出合い、顕著なピーク、つめの標高差)
2)入渓点チェック
3)核心部チェック (滝場、滑、崩落など危険個所)
4)下山の地図読みチェック
5)遡行図を地図に書き写す
6)2股、大きな滝、沢の屈曲点の標高を書き入れる
7)総合して装備を考える
★4)下山の地図読みでは、手抜かりが発生しがちだ。大体ガイド本には、登山道を使う指示が多く、一般道のような登山道だと、気が抜けて、道は明瞭だから・・・と調べないで行ってしまう。
それでも、もし地図読みになると、地図読みでは、尾根の下りは難しい部類に入る。
エスケープも考慮に入れないといけない。退路を常に維持するのが大事だ。
★6) 遡行図&標高
遡行図を地図に書き写すと、大体、地形的にどこに何が現れそうかが、漠然とでも頭に入る。
★7)装備は、保守めにいつもしている。
・ロープ: 人数が多ければ、自前のロープを入れる。
・5人なら3本。4人なら2本。
・登攀用の三つ道具: 滝場の難易度と人数、メンバー内容を見ていれる。
・ハンマーは1パーティに2つ必要
・スリング類: 自分のお助け用。髙巻きが多いと、ちょっとしたところで自分で自分のために欲しいかもしれない。
・食料の量: 日帰りだと、うっかり少なくしてしまうが、日帰りでも長いコースだと、余分にあるほうが良い。思わぬ増水で、長時間行動を強いられることがある。
・その他: 虫除けネットは季節柄、要らないと思ってもあるほうが良いかもしれない。
・ツエルト: ツエルトかビバークシートで済ますかも、日帰りで楽な沢ならシートで済ませていたが、同じ日帰りでも長いルートはツエルトを持つと、心の安心が増える。
■次回の沢の予習
1)取り付き 2パートに別れる 40 +40 =1.5H
1.黒岩尾根へ。1428から派生する6つの尾根の5つ目、ほぼ東に派生する長い尾根に乗る。4つ目の尾根もほぼ同じ方角だが、6つめの尾根の方角は東南で全く異なる。また1428ピークの位置が見えれば、背後に回れば行きすぎ。30~40分で尾根取り付き。滝川対岸の1204が見えれば、それを目指すが、正面ではなく、左手側に見える尾根に出る。顕著な地形的目印がなく迷いやすい。出会いに差し込む尾根が右手側にある。
2.尾根下降~滝川出会い。尾根下降距離1km弱、標高差約400で40分ほど。滝川出会いまで休憩込みで2時間。
2)遡行 3つのパートに別れる。0.5h+1H+1H+ツメ1H=約4H
1.ゴルジュ~方角を変えるまで
・しばらくゴルジュ。15分で支沢の流入。30分程度で沢は和名倉方面へ方角を変える。ゴルジュが続く。
2.顕著な屈曲(左)まで。
・左岸が壁
・中間部で、右岸に小屋跡
3.~二股まで
・1:3で左俣に入り、1682のコルへ。標高差約300ほど。
3)下山 下山は2つに分かれる
1.曲沢部 2H
・1682から2叉①へ、20分。
・さらに下り、二叉②へ。曲沢は西を向くようになる。
・次の二股③まで、トータル2Hほど。2叉を過ぎると河原が広くなる。右岸に山道を見つける
2.滝川右岸山道(廃道)1.5H
・3つめの二叉を過ぎてから、山道に乗る。不明瞭なので注意。
・曲沢滝川出会いがはるか下になる 急斜面のトラバース
・途中川叉方面への分岐がある
・吊り橋あり
取付2時間、遡行4時間、下山4時間、トータル約10時間。
・・・という予習結果になった。
核心は、遡行よりもむしろ下山のルートファインディングのようだ。
この予想は当たるだろうか・・・
9/15/2015
謎!緯度経度
■ 一致しない数値
以前、岩場の緯度経度を取っておけば、間違いなく、たどり着けると考えて、緯度経度を控えていた頃がありました。
ところが、それを地図に落とし込もうとすると、正確な位置が出ないのです・・・(汗)
緯度経度の表示には色々な系があるので、測地系の変換に色々あるのだろう・・・と、手書きで緯度経度を収集するのはあきらめました。
■ 謎です・・・
今回も、迷い始めた点にピンを落として、位置情報を拾っておきました。使っているソフトは定番のField Access です。
← iPhone上でのピンの位置表示。
これは、感覚的にも合っています。
緯度経度を見ると・・・
緯度 35度52分42.2秒
経度 138度45分40.7秒
と出ます。ハイハイ・・・
■ カシミールで表示
同じデータをカシミールに転送して、表示させたところです。地図上にマッピングされているピンの位置は、合っているようです。 見づらいですが、赤い●です。
で、その位置を表示させると
緯度 35度52分70.70秒
経度138度45分67.90秒
うーん、全然違うんですけど・・・(^^;)
■ KLMファイルの中身
KLMファイルの中身は コーディネイトタグで、緯度経度情報を保持しています。
どれどれ・・・
<coordinates>138.7613161,35.8784495,1633</coordinates>
これもまた、全然違う・・・(--;)
■ みんな違う
ところが、緯度経度を表示させると、みな違う数値を言ってきます・・・(^^;)
すべてで一致しているのは、標高だけです。
一体どうしたことでしょう?
誰か分かる人、教えてください・・・もう、降参です。
以前、岩場の緯度経度を取っておけば、間違いなく、たどり着けると考えて、緯度経度を控えていた頃がありました。
ところが、それを地図に落とし込もうとすると、正確な位置が出ないのです・・・(汗)
緯度経度の表示には色々な系があるので、測地系の変換に色々あるのだろう・・・と、手書きで緯度経度を収集するのはあきらめました。
■ 謎です・・・
今回も、迷い始めた点にピンを落として、位置情報を拾っておきました。使っているソフトは定番のField Access です。
← iPhone上でのピンの位置表示。
これは、感覚的にも合っています。
緯度経度を見ると・・・
緯度 35度52分42.2秒
経度 138度45分40.7秒
と出ます。ハイハイ・・・
■ カシミールで表示
同じデータをカシミールに転送して、表示させたところです。地図上にマッピングされているピンの位置は、合っているようです。 見づらいですが、赤い●です。
で、その位置を表示させると
緯度 35度52分70.70秒
経度138度45分67.90秒
うーん、全然違うんですけど・・・(^^;)
■ KLMファイルの中身
KLMファイルの中身は コーディネイトタグで、緯度経度情報を保持しています。
どれどれ・・・
<coordinates>138.7613161,35.8784495,1633</coordinates>
これもまた、全然違う・・・(--;)
■ みんな違う
ところが、緯度経度を表示させると、みな違う数値を言ってきます・・・(^^;)
すべてで一致しているのは、標高だけです。
一体どうしたことでしょう?
誰か分かる人、教えてください・・・もう、降参です。
ブラックアウトナビゲーション
■ 遭難と遭難未遂の間
週末は大きな山行を経験した。
山は晴れて気分が良く、時々雨の予報も曇り空程度で、降られることがなかった。肉体的な不快感はなく、山は「おいで」といざなっていた。
ところが、山はそう言っていながら、次々と予想外の試練を課してきた。
台風の後の大増水、急流、想定より深い淵、困難な徒渉、それらを避けるための髙巻きというより、大髙巻き、それに伴う懸垂、リードクライム、そうした迂回を取るためのルートファインディング、ツメで避けることのできない、激藪の藪漕ぎ・・・
それらの困難が押す時間・・・ 時間は、かなり押してしまった。標高差と距離を基に、これくらいで行けるだろうと想定した時間が、まったく役立たずだったのだった。
しかも、慣れた尾根でのブラックアウト、コンパスナビゲーション… 尾根の分岐点、下り出しでのブラックアウトは致命的だ。なんでもないところで、小一時間、ルートを失い、心理劇を多少演じた。
焦りは禁物と知りながら、心理的なプレッシャーがかかる暗闇での山。
それは、山は歓迎しているが、甘くはないよ、という意味なのか?ゆりかごで成長しなさいという意味だったのか?経験を積めと・・・。
もうワンビバーク、ということを真面目に考えた、初めての山だった。
■ たられば
遭難と遭難の手前は、ほんの少しのことだ。 ”たら、れば”、は、無用だと良く言われる。
しかし、考え付く、ありとあらゆる、”たられば”をあげておくべきだと思う。
もっとも直近から・・・
・暗くなる前に1657に着けば(尾根の出だしでルートが決定した後)で、あればルートロスせず済んだかも?
・ということは、あと10分無理を強いても粘って歩けば良かったかも?
・疲労していなかったら、10分早く歩けたかも?
・前の予想外の藪漕ぎがなければ、1時間早かったかも?
・ツメで右の尾根ではなく、左の尾根に取り付いていれば、時短したかも?
・余計な部分で遊んでいなければ、明るいうちに1657に着いたかも?
・予定通り1時間早起きしていれば、明るいうちに1657につけ、ルートロスはなかったかも?
・ペースにはシャリバテが関係したかも?
・ペースには思いやりが関係したかも?
・もっとトレーニングを積んでいれば、早く歩けたかも?
■ ブラックアウト&コンパスナビ
反面、ブラックアウトした中で、ちゃんとコンパスナビができた。
こんなことは、頼んでも実行できることではない。ハッキリ言って、計画して経験できるような中身ではない。
なぜ、ちゃんと戻ってこれたのか?
・誰もパニクらなかった
・半径500mくらいの誤差では、現在地を理解していた(GPSなしでも)
・地形と沢音から、ルートロスを早い時点で認識できた
・ホワイトアウト時のコンパスナビゲーションを知っていた
・それは雪山をやるからだった
・万が一用にGPSを携帯していた
・予備電池をもっていた
・夜間登山の経験があった
・ベテランと一緒だった
・軽量化して行った
・皆、健脚者だった
・食料の予備があった
・いざとなれば、もうワンビバークも可能な宿泊装備もあった
・日ごろトレーニングがしてあり、睡眠不足でも、15時間ほどの歩行もこなせた
■ 何を学んだか?
1)暗闇でのルートロスがいかに不安か?ということ
2)ほんの小さな距離が何倍もに感じられること
3)ルートロスでは気持ちの問題が大きい
4)地図読みの山でのブラックアウトは、明瞭な点まで行ってからでないと危険。
5)暗闇ではルートファインディングは基本的にできない
まるで、新田次郎の小説の登場人物になったかのような気分がした(笑)。
(笑)と書いていられるのは、無事帰ってこれたから、で、実は (笑)なんて書いている余裕はない。
そりゃ~必死だった。逆に言えば、ピークの能力では、こういう困難が切り抜けられるということだ。
今回コンパスナビに自信を付けた。
ブラックアウトした尾根の分岐点でのルート設定にも、ナビにGPSは使っていない。使ったのは現在地の同定だけで、あとはコンパスナビだ。ナビ開始からほんの少しで、ルート復帰した。
■ 反省点
たとえ、強く、担げて、トレーニング万全で、疲労がなくても、なんらかの回避不可能な理由で遅れることはある。
・・・ということは、いくら強い人でも、それに備えなくてはならない。
GPSは必携だ。
現在地を同定するには、電波が取れないところでも、正確な地図表示ができるように、地図を事前にダウンロードしておかなくてはならない。
最近、私は地図読みで、普通に山を歩けるようになったため、GPSはログ取り専用機になっており、山中でGPSの地図を確認することはほとんどないため、事前ダウンロードを怠っていた。
ただ予備の電池は持って行く。通常使わない。ログが欲しいときは、節電で機内モードにする。そうでない一般道なら、電池を切ってしまうからだ。一般道は、標高さえ分かれば、現在地を特定できる。
今回は、電池を入れた時点で電波が入り、地図を取得することができたので、現在地の同定が楽だった。
もし電波が入らなければ、座標は出るが、現在地が地図上にマッピングされないので、座標で、紙の地図上に現在地を落とし込めるスキルが必要だ。
座標でのマッピングスキル
も必要だ。以前、チャレンジしたら、座標の数値には、測地系の違いで値が異なり、良く分からないなと済ませてしまった。再確認が必要だ。
■ 良かったこと
今回、最後の最後までGPSは出さなかったこと。
15時間、歩けたこと。
ストレスがかかった状態で、互いの様子や弱点が確認できたこと。
いつも、良い子の山時間ばかりでは、経験が積めないこと、が分かった。
が、経験を積むには?
遭難未遂を敢えて冒すと言うことは、基本的にないわけなので、やはり貴重な経験なのだということだった。
週末は大きな山行を経験した。
山は晴れて気分が良く、時々雨の予報も曇り空程度で、降られることがなかった。肉体的な不快感はなく、山は「おいで」といざなっていた。
ところが、山はそう言っていながら、次々と予想外の試練を課してきた。
台風の後の大増水、急流、想定より深い淵、困難な徒渉、それらを避けるための髙巻きというより、大髙巻き、それに伴う懸垂、リードクライム、そうした迂回を取るためのルートファインディング、ツメで避けることのできない、激藪の藪漕ぎ・・・
それらの困難が押す時間・・・ 時間は、かなり押してしまった。標高差と距離を基に、これくらいで行けるだろうと想定した時間が、まったく役立たずだったのだった。
しかも、慣れた尾根でのブラックアウト、コンパスナビゲーション… 尾根の分岐点、下り出しでのブラックアウトは致命的だ。なんでもないところで、小一時間、ルートを失い、心理劇を多少演じた。
焦りは禁物と知りながら、心理的なプレッシャーがかかる暗闇での山。
それは、山は歓迎しているが、甘くはないよ、という意味なのか?ゆりかごで成長しなさいという意味だったのか?経験を積めと・・・。
もうワンビバーク、ということを真面目に考えた、初めての山だった。
■ たられば
遭難と遭難の手前は、ほんの少しのことだ。 ”たら、れば”、は、無用だと良く言われる。
しかし、考え付く、ありとあらゆる、”たられば”をあげておくべきだと思う。
もっとも直近から・・・
・暗くなる前に1657に着けば(尾根の出だしでルートが決定した後)で、あればルートロスせず済んだかも?
・ということは、あと10分無理を強いても粘って歩けば良かったかも?
・疲労していなかったら、10分早く歩けたかも?
・前の予想外の藪漕ぎがなければ、1時間早かったかも?
・ツメで右の尾根ではなく、左の尾根に取り付いていれば、時短したかも?
・余計な部分で遊んでいなければ、明るいうちに1657に着いたかも?
・予定通り1時間早起きしていれば、明るいうちに1657につけ、ルートロスはなかったかも?
・ちゃんと早く就寝していればよかったかも?
・歩きのペースが通常より少し遅かったのは初心者(当方)を連れていたからかも?
・ペースにはザックの重さが関係したかも?・ペースにはシャリバテが関係したかも?
・ペースには思いやりが関係したかも?
・もっとトレーニングを積んでいれば、早く歩けたかも?
■ ブラックアウト&コンパスナビ
反面、ブラックアウトした中で、ちゃんとコンパスナビができた。
こんなことは、頼んでも実行できることではない。ハッキリ言って、計画して経験できるような中身ではない。
なぜ、ちゃんと戻ってこれたのか?
・誰もパニクらなかった
・半径500mくらいの誤差では、現在地を理解していた(GPSなしでも)
・地形と沢音から、ルートロスを早い時点で認識できた
・ホワイトアウト時のコンパスナビゲーションを知っていた
・それは雪山をやるからだった
・万が一用にGPSを携帯していた
・予備電池をもっていた
・夜間登山の経験があった
・ベテランと一緒だった
・軽量化して行った
・皆、健脚者だった
・食料の予備があった
・いざとなれば、もうワンビバークも可能な宿泊装備もあった
・日ごろトレーニングがしてあり、睡眠不足でも、15時間ほどの歩行もこなせた
■ 何を学んだか?
1)暗闇でのルートロスがいかに不安か?ということ
2)ほんの小さな距離が何倍もに感じられること
3)ルートロスでは気持ちの問題が大きい
4)地図読みの山でのブラックアウトは、明瞭な点まで行ってからでないと危険。
5)暗闇ではルートファインディングは基本的にできない
まるで、新田次郎の小説の登場人物になったかのような気分がした(笑)。
(笑)と書いていられるのは、無事帰ってこれたから、で、実は (笑)なんて書いている余裕はない。
そりゃ~必死だった。逆に言えば、ピークの能力では、こういう困難が切り抜けられるということだ。
今回コンパスナビに自信を付けた。
ブラックアウトした尾根の分岐点でのルート設定にも、ナビにGPSは使っていない。使ったのは現在地の同定だけで、あとはコンパスナビだ。ナビ開始からほんの少しで、ルート復帰した。
■ 反省点
たとえ、強く、担げて、トレーニング万全で、疲労がなくても、なんらかの回避不可能な理由で遅れることはある。
・・・ということは、いくら強い人でも、それに備えなくてはならない。
GPSは必携だ。
現在地を同定するには、電波が取れないところでも、正確な地図表示ができるように、地図を事前にダウンロードしておかなくてはならない。
最近、私は地図読みで、普通に山を歩けるようになったため、GPSはログ取り専用機になっており、山中でGPSの地図を確認することはほとんどないため、事前ダウンロードを怠っていた。
ただ予備の電池は持って行く。通常使わない。ログが欲しいときは、節電で機内モードにする。そうでない一般道なら、電池を切ってしまうからだ。一般道は、標高さえ分かれば、現在地を特定できる。
今回は、電池を入れた時点で電波が入り、地図を取得することができたので、現在地の同定が楽だった。
もし電波が入らなければ、座標は出るが、現在地が地図上にマッピングされないので、座標で、紙の地図上に現在地を落とし込めるスキルが必要だ。
座標でのマッピングスキル
も必要だ。以前、チャレンジしたら、座標の数値には、測地系の違いで値が異なり、良く分からないなと済ませてしまった。再確認が必要だ。
■ 良かったこと
今回、最後の最後までGPSは出さなかったこと。
15時間、歩けたこと。
ストレスがかかった状態で、互いの様子や弱点が確認できたこと。
いつも、良い子の山時間ばかりでは、経験が積めないこと、が分かった。
が、経験を積むには?
遭難未遂を敢えて冒すと言うことは、基本的にないわけなので、やはり貴重な経験なのだということだった。
迷ったのはほんの標高差50m程度 |
9/13/2015
奥秩父 入川 大荒川谷
■ 最後の聖域
沢はいい。夏に涼しく、緑美しく、水は澄んで、ロープの出番も豊富だ。登攀は岩と違い、容易だ。水を担がなくても済み、焚火もできる。外界との隔絶度が高く、自然を満喫できる。山の人工化が進む中で、残された最後の聖域だ。
だが、危険が大きい。浮石や水で滑りやすいのは当たり前。足元はすぐに崩れ、ホールドは立木がベストで、細い木の根でも、あればうれしく、草なんてこともある。枯れた茅にすがる羽目になることもある。
滝はぬめり、滑りやすく、既に8mも滑って落ちたことがある。ランニングも取れない。深い淵には溺死の可能性がある。水流には流される。怪我をしてもヘリは来ない。携帯もつながらない。雨になったら焚火もできない。”万が一”は、北アより考えたくない非常事態だ。
沢は明神主稜など易しく感じさせられる。沢では人間の無力さと同時に、生命の力強さも感じられる。
■ 大きな山行
今回は荒川源流をたどる、一泊二日の大きな沢山行だった。行程は大きく分けると3つ。水量の多い本流。沢が名前を変える中流域。そして、快適そうな源流部。当初、核心は、本流だと思っていた。泳ぎがあるのだ。ライフジャケットを用意した。しかし、思いがけない展開で下山核心だった。
■ 水量
初日、本流部は、最初から無し決定だった。被災者も出した大きな台風の後で、水量が非常に多い。迫力の滝を写真に収めながら、単純に登山道を歩く。晴れて気持ちが良い。山が歓迎で微笑んでいるようだ。
■ 入渓
沢沿いの登山道から、沢が見えない為、入渓ポイントを間違わないためには、地形を見る力が必要だ。地図と地形を照らし合わせる。目の前に大きな尾根が見える。その先に顕著な尾根が無い。ここだろうと、アタリを付けて尾根を降りてみる。尾根は、かなり急で苦労するが、降りてみたらバッチリ二股だった。
入渓点では水流は強く水深もあり、さっそくスクランブル徒渉が必要になる。山は我々を追い返しているようには見えないが、この先も甘くはないよ、ということか。
11時、遡行開始。
■ 大髙巻き&懸垂
予想以上に水量が多く難儀する。ガイドブックには、難なく通過できると書かれているゴルジュは、どう見ても無理にしか見えない。両サイドがゴルジュの為、最初から大高巻きする羽目になった。
どんどん登るが、登れば登るほど、降りる地点の判別がつきづらくなる。さっそく一本目の懸垂。トップが降りると姿が見えなくなり、意思疎通が不安になる。セカンドで降りるが、沢での懸垂は自然地形なので、岩での懸垂よりロープの流れを作るのが難しい。まっすぐに降りれるわけがなく、ロープを制御しながら降りる。カラビナ懸垂。屈曲まで来ると、上に様子を伝えた。
とても降りれそうにない、不可能な場所に上からは見えたが、見えるところまで来ると、なんとか後1ピッチで降りれそうだった。ただ安定した太い木まで、あと1mほどロープが足りない。手を伸ばしても届かないので、懸垂のロープにスリングを足し、立木になんとか届き、そちらでセルフを取ってから、懸垂のロープを解除。
最近は、岩で使う60と120ではなく、180のソウンスリングと250の6㎜細引きを持ち歩いている。沢では全然こちらが使える。上に笛でコールし、念のためロープを引いて合図する。次の懸垂は、トップで行く。任されるのはうれしい。
■ シビアな徒渉
再入渓するも、水量が多く、徒渉が困難で、先頭が突破し、フィックスを作る。それでも流されそうな激流だ。
徒渉では流された場合に備え、ザイルはつけないか、もしくは、ザイルを流せる用意が必要だ。
落ちて流されたらどこで止まるか。下を見ると、大きな淵に水が白く泡を吹いている。その下は小滝。小滝までは落ちそうにないが、淵で濁流に飲まれて、溺れ死ぬことは、あるかもしれない。
躊躇していると、水流を和らげるためにトップが盾になってくれた。
覚悟を決めて、ザックのストラップを外す。今夏のほら貝のゴルジュも、水量が多く大変だったが、ここもかなりシビアな徒渉。何とか無事徒渉して、振り向くと、後続の男性も苦労していた。
「最近、上ノ廊下を女性だけで遡行した記録があるんですけど…」と言うと、「ここより上ノ廊下の徒渉の方が易しいと思うよ」との返事。そんなにシビアな徒渉なのか。怖くて当然か。
■ 一難去ってまた一難の初日
出てくる滝はみな水量が多すぎ、巻き決定。左右を見て、巻けそうか、巻くならどこか、最初に相談する。合意が出来てから、トップが登る。フォローでも結構大変だ。
巻いたほうがザレた地面は、足元が崩れやすく、緊張を解くことができない。一難去ってまた一難で、とても無理という箇所が続く。
■ 幕営
この日は結局、計画の場所まで到達する前に、幕営適地が出てきたため、15時で切り上げる。この先1時間以内に適地が出てくるか、当てにならないからだ。
■ 判断と総合力
こうした各種の判断には、経験と知恵が必要だ。一般登山など、経験も何もいらない。いるのは常識だけだ。
豊富な経験が必要な判断力や山の総合力は過小評価され、登頂数の競争や標高の競争、グレードの競い合いといった数値で表現できるような、矮小化された”パーツ”が評価を受ける。
どのルートを取るか?
ロープをいつ出すか?
どう出すか?
ダメだったらどうするか?
その時、敗退はどうするか?
こうした総合的な判断力や戦略に経験値を積み上げることこそ、山という活動そのものだと思う。
自然をよく知らなければ、危険から身を守れない。迂闊だったと死んでしまうのが落ちだ。危険と山とは表裏一体だ。
人が介在することで山は危険なものではなくなる。危険でない山を危険にし、仲間を怪我や危険に陥れる人もいる。山とどう向き合うか?山との対話はそこから始まる。
■ 釣りと焚火と・・・
幕場では、さっそく焚火と食事の用意。タープを張る。みな行動を理解しているので、指示が要らないのが楽だ。ブルーシートが残置されていたので、洗ってきれいにして床面積を広げた。焚火を拾う。
後はお魚釣りにそれぞれがいそしむ。まずは餌の川の虫を捕る。釣りはだいぶ粘ってみたが、釣果は残念ながら無し。初めての釣り。
焚火はビックリするような、大きな木まで燃やした。こんなの燃えるの?と思ったが、無理やりにでも燃やしてしまう。濡れていて、なかなか火が付かないが、焚火がないと寒い。いつも夫が焚火は上手で燃やしてくれるので、夫がいたらよかったのに…と思った。
ご飯も焚火で炊く予定だったが、時間的に燃え盛る火が熾火になるのに、間に合わなかった。
夕食はすき焼き。生卵つき。ビールは一人1缶ふるまわれた。担げる人がいると助かる。あとのお酒は各自。
すっかりリラックスタイムだ。楽しく夜が更け、12時ごろ就寝と山の行動時間としては、だいぶ押した。
シュラフカバーに入る。リーダーのマットは5ミリくらいしかない。本物の山ヤだ。最近のウルトラライトなど目ではない。明け方は寒かった。寒いと感じるころがいつも3時4時で、目が覚めてちょうど良いと言えば、ちょうど良い。
タープ泊は、テントより寒い。でも風が感じられる。沢では様子を感じられるのが大事だ。まだタープ泊は何度目かだが、自分のタープが欲しい。
翌日は少し寝坊し、5時起床。焚火を熾し、豆からひいたコーヒーとご飯。6:40出発。
1時間で当初予定の幕営地に出た。1時間なら、昨日少し頑張っても良かったが、見ると焚火用の薪に乏しかった。
■ 快適な源流部
さらに進む。滝だけではなく、釜が深くても、髙巻きが必要になる。7:50、二股で源流部に入ると、やっと水量が減ってきた。源流部としては多い水量。でも、シビアな徒渉はなく、腰まで濡れても、ロープは出さずに渡れた。水が冷たい。蛇行しているため、何度も徒渉を繰り返す。
沢はどんどん快適度を増してきた。スピードもアップ。本来は特に大高巻など必要なく、すべて楽しく登れて越えられる滝ばかりの沢のはずなのだ。
■ ミニマムバージョンの登攀具
そう思っていたので、私は今回は登攀具を軽量化し、ミニマムバージョンの登攀装備で参加していた。登攀的な沢の時は、初級でも、ハーケン、ハンマー、カムまで持って行く。人数が多ければ30mのロープも入れる。
今回はハンマーは2本あるのが分かっていたし、ハーケン以外は用意していない。スリングもカラビナも2~3と最小。それは登攀的な沢ではないと想定したからだ(実際、滝場はロープを出さなかった)。その代り、泳ぎに備えて防水はしっかりしてきた。
■ 魔がさす
大髙巻きで、大きなルンゼを先頭が行く。長い。ふと魔が刺してしまった。もっと小さく巻けないかと言うと、トップがルートを偵察に行く。
行けるそうだ。セカンドで行って見たら、エライ場所だった。ほぼ垂直にガレたルンゼのトラバース。支点は立木だが、トップはよくこんなところ行ったなと思った。えぐれて、崩落地と言って良い地形だ。恐怖グレードの高い箇所だった。
トラバースなので、ロープクランプで行ったが、クライミングは大変だった。支点を一つ回収して、重いザックの後続が歩きやすいように工夫した。
支点があれば足場がシビア。足場があれば支点がない。足場と支点では支点を選ぶのが、リードする人の心境なのか。
セカンド以降は足場を優先しても、大丈夫そうだった。ぶら下がってもロープが伸びるだけだ。ただセカンドでロープを背負って行けば良かったな、とついてから悔やむ。まだ先があったからだ。大きな立木にセルフを取る。足場は狭く、3人が限度だ。
■ リード
次のピッチをみると、ほぼ直上。支点も取れそうだ。「リードする?」と聞かれたのでいく。サードが背負ってきたロープで、先入れ先出し式に、後続が登ってくる間にリードする。
クライミングは、屈曲すれば、易しくなるが、一度そっちで上がってみたが、ロープの流れが悪く、一度クライムダウンした。
やはりシングルだと直上が良い。となると、被った凹角。登れるんだろうか?そういえば、流れてしまった小同心クラック、写真では、こんな感じだったな。入る前に一ピン取った。
支点はかなり大きな木と根っこでトータル3本取った。あと1mで終了点の足場のある立木なのに、その、あと1mが出ない。20mしかないのだ。岩だとまだまだ出るのに。
しかし、セカンドはスタートしたように見える。仕方なく、セルフを取り、急いで丈夫な木の根っこで支点を作る。しかし、マスト結びをしたが、それにも、シビアなギリギリのロープの長さ。
アンカーが1点では、不安なので、もう1点取りたい。が、ロープの長さがない。それでアンザイレンを解いて、その分で、バックアップを作った。
フォローはビレイではなく、フィックスを頼って登ってくることになるが、分かってくれるだろうか?と不安でいると、ちゃんとプルージックで登ってきた。ラストは張られていないので、登りにくそうだが、直上する凹角は短いので、ごぼうでOKだった。
次のピッチは別の人のリード。短いトラバースだった。ラストで出ると、最初に登っていたルンゼの終了点辺り。なんのことはない、回り道して、危険な想いをして遊んでいただけだった。
ロープを出した分、時間がかかる。10時半になってしまい、貴重な時間のロスのような気がしないでもないが、遊んでしまったなぁ。けれど、かなり面白かった。遊びに来たんだから、遊んでもいいか。時間ロスの心配もあり、トップを先に行かせるため、ロープはラストで登った私がまとめる。2本あると、そういう時短ができるのだ。
支点作成の能力やランナウト、状況の判断力に不安を持たれているときは、リードさせてもらえない。
自分で自分を危険に陥れる可能性がある人と思われていると、リードはできないのだ。救助させられる羽目に陥るのは困るから。
だから、リードを任されたときはうれしかった。任せてくれたのは、山を経験させてやりたいという親心のようなものだと思う。ちょっとした愛情と、それに試験が兼ねてあった。私は合格したのだろうか。
■ 砂岩スラブ
後は、美しい渓相の気持ち良い流れが続く。数か所、短い足ではスタンスが遠く、お助けを出してもらった。順調に沢を遡行する。奥三俣で13時。いよいよツメだ。あと標高差450m。2時間のつもりだから、気分的にかなり楽になる。
少しリラックスして、楽しく沢を遡行する。次々と見どころがあるキレイな滝が出てくる。ぬめっている滝もあったが、おおむね快適な登攀で、楽勝モードで進む。
上は砂岩でスタンスに乏しいスラブ滝が出てきた。トップが落ちる。小川山でこの傾斜なら登れそうとチャレンジしてみる。流芯はスタンスがなく、爪半分の小さなカチが一つあるだけ。サイドプッシュを試みるが、サイドは砂で脆く崩れる。となると、流芯しかなく、バランスクライムになりそうで、靴のフリクションだけが頼りになるので、辞めておいた。
ただこの箇所は髙巻でも、砂岩質の為、トップが落を起し、クライムダウンも難儀していた。私もチャレンジしてみるが、うーん…。岩ならなんとかなると分かるクライミングだが、砂岩は乗ったら崩れそうで、前例がすでにあるので辞めておく。辞めておいて褒められた。
■ ツメ
やがてボサがひどくなり、遡行が苦痛になってくると、沢靴を地下足袋に履きかえ、水を補給していよいよツメ。ツメは苦しい。
毎度のことだが、落石注意。ガレなので、古い石に足を置かないと、新しい石はすぐ落ちてくる。ラクが避けられなくなれば、尾根に逃げ、樹林の中を歩くと、汗が噴き出す。
予想より1時間多くかかり15時に稜線に出た。遊んでしまった分だ。
しかし、ピークと思った箇所は、目指すピーク手前のコルだった。がっかり。ということは、あと標高100ぐらいある。
■ 激藪
しかも行って見たら、密集したしらびその稚樹とシャクナゲの激藪で、先頭とくっついて登らないと閉じた藪をかき分ける手間で、もっと時間を喰ってしまう。
私も藪は経験があるが、この藪は今まで経験した中で、もっとも濃い藪だった。つまり前の人が2m先でも見えないくらいの藪。ハイハイも加え、シャクナゲの枝に乗り、しらびその稚樹で擦り傷を作りながら進む。
この藪には、してやられた。エライこった!という感じだった。ザックの重い人は、もうゲンナリしていた。しかし、切り抜けるしか他にルートはないのだ。頑張るしかない。
しかし、このペースでは…。今夜はもうワンビバーク必要かもしれない。その場合は…と近くの避難小屋を思い浮かべる。この山域に詳しくて良かった。食料は非常食と、その他スープ類やアミノ飲料が余っている。宿泊装備はある。朝、多少すきっ腹で出ても、下りだから平気だろう…、そんなことを考えた。
運よく、最後は密集度が薄くなり、1時間のプラス程度でピークに抜けた。16時。予定は14時~15時だったのに。激藪で1時間アップだ。
■ 下り
あとは下りを残すだけだ。前に私がこの尾根を歩いたときは、意外に時間が掛かった。その時は地図読みしながらだったから、ということもあるか…今回は、すでに来たことがあるから、飛ばして降りよう。休憩を済ませ、16:20、下山開始。
前に来た時は、下りはじめがすごく面白かったが、今回は特に難なく赤布を見つける。面白みには欠けるが、飛ばす。飛ばしているつもりだが、スピードが出ない。みな少し疲れが出ているのだ。
振り向くと「次の三角点まで」と言う。その”次”がなかなか出てこない。暗くなってきた。後続も離れてきた。疲労を見てとったリーダーが一本取ると言う。18時を回っていた。2300から1600まで標高差700を1時間半だ。
辺りが暗くなり、ヘッドライト装着。先頭を歩きだす。5分と経たずにリーダーに「ヤバい」と告げる。後の読図ポイントがまだ少し先だった。
あと少し進んでいたら、考えずに降りれるところだったが、歩きだすとすっかり暗くなってきた。赤布が見えない。いくらも進まないで、立ち往生する。
とりあえず、確実な地点へ戻り、コンパスを設定する。ほぼ南下だ。ただ、そんなことは分かっているので、あまり助けにはならない。
■ 尾根の出だしは難しいと言うこと
尾根の出だしの角度は、通常、微妙すぎて、あまり参考にならないのだ。たいていは少し間違って、正しい尾根が目視で確認できるようになってから、補正する。
だが、もう暗すぎ、補正できない。尾根の下り出しで、ブラックアウトはとてもヤバい。どうする?私には経験がない。考えられるのは、、ホワイトアウトナビゲーションと同じことをするか、ワンビバークして夜明けを待つか。
■ コンパスのこと
コンパスには当て方がある。尾根が入り組んで複雑な場合は、細かくコンパスを当て、小さく地形を拾う。そうしないと助けにならないのだ。
地形的にその場所はまさにそういうところだった。尾根の分岐の下り出しだ。まず、大きく二つの尾根に別れ、すぐに東側の尾根はさらに3つの尾根に分岐して、トータル4つの尾根になる。出だしは、あまり傾斜がない。方角も、どの尾根も最初は似た位置でスタートだ。目的の尾根は西から二つ目。あと距離にして500mで明瞭な防火帯に出るのに…。
■ ルートロス
とりあえず目の前に踏み跡を進む。左か?右か?赤布が充実している尾根だが、暗すぎて見つからない。踏み跡があり、行って見る。
気が付くとトラバースしており、おかしい。尾根に乗っていたらトラバースはない。右から沢音がする。沢音は聞こえてくるなら、左のはずだ。マズイなあ…。まずいよ。立ち止まり、作戦会議。どうする?
■ GPS
まずは地図を見る。そうだ、GPSもある、とスマホを出す。GPSの座標を出そうとするが、座標がすぐ出ない。
節電で機内モードにしていて、前に電波を拾っていたときから丸一日以上経ち、少し前の座標を出しているようだ。まったく参考にならない位置を表示している。
予備電池に接続し、機内モードを解除する。電波を拾い始め、しばらくすると、アンテナが3本立った。ソフトバンク、エライ!自宅に電話して遭難ではないと夫に告げる。19時。
座標で現在地を出したりするが、難しい。すこし、焦りが混じり始める。間違っていることは確実だ。
■ 暗中模索
今いるところはトラバースなので、尾根の上に乗ることにする。ただ斜面が深い茅の藪で、直線的に歩けず、南下が北上になったりする。地形を参考にすることはできないのだ。しばらく、南下ではなく北上したりと、茅の中を、藪が薄い箇所を求めて、文字通り暗中模索する。
■ 直線的ナビゲーションについて
雪山のホワイトアウトナビゲーションでは、非常時の最後の手段は直線だ。非常時ではない、通常の地図読みでは、進路決定はコンパスでしても、見て取れる障害物は迂回する。例えば、藪があれば巻き、巻いた分はルート復帰する。小ピークも同じだ。山の斜面は合理的でないので通らない。
厳密な地図読みでは、ピークとコルだけをつなげる。そして障害物は巻く。しかし、ホワイトアウトではそれができないので、トラバースだろうが、藪だろうが、直線的に進まないといけないのだ。暗闇の上に、困難と危険が倍増。方角だけが頼りだから、仕方がないのだ。
通常そのような進み方は頭が悪い。障害物につっこむと危険が増し、時間が余計かかり、体力を消耗するだけだからだ。
しかし、今回は闇では、それしかない。ホワイトアウトならぬ、ブラックアウトだからだ。
■ GPS起動
GPSが復活し、ルートの軌跡も取れるようになり、現在地が判明する。
やはり、想定通り、ひとつ西隣の尾根に乗ってしまったようだ。
そこで東に方向を修正する。ひどい茅藪。かき分け、かき分け進む。
すると、なんと!コンパスで直進し始めてから、30分しないうちに、見覚えがある場所に出た。
■ ルート復帰
ここは三角点があるピークだ。広く抜けている。防火帯は刈り取られているので、下界の光も星空も見え、森林との境界線がはっきりしている。これで帰れる!とホッとして、冗談を言い合いながら下る。
ルート復帰した時、20時になっていた。東進と決めてからはルート復帰は早かった。1時間半ほど、余計にハラハラさせられたことになる。
本来、明るければ近道も取れた。しかし、ルートの明瞭さは期待できないので、すでに暗くなった時点で、安全を見て、長くても明瞭な方を下山するしか選択肢はない。そのため、下山終了はさらに1時間かかり21時だった。
下山口から20分ほど車道を歩いて駐車場まで戻った。21時20分、登山終了だった。缶コーヒーでお祝いした。
■ ロスタイムについて
16:20のスタートだから、5時間だ。ルートロスしていたのは1時間だが、ヘッデン歩きを加え、トータル2時間余計にかかった。この尾根は、この山域では最も長く、標高差は1100、距離は5~6km。大体登り4~5時間、下り2.5~3時間くらいの尾根だ。
つまり16時半出発では、順調でも最後の1時間はヘッドライトになる。それは、前の行程が押したからだ。2時間は押しているので、トータル4時間は余計にかかったことになる。
今回は最終的に地図読みが必要にならない箇所に来る前に、ヘッデンで歩ける場所に到着していたら、2時間ほど早かっただろう。だが、疲労もあり、ほんの数百メートル手前で日が暮れてしまった。宿泊装備でザックも重かった。予想外の藪漕ぎで体力がだいぶ消耗した。
■ GPSを使わなくなっていたこと
最近、GPSは山行中は、ほとんど無用の長物でログ取り専門だ。自分で地形を読んで歩けるようになったので、現在地の確認には必要がないから、合宿でもない限り、事前に地図をダウンロードしない。山行後の楽しみにログを取るだけだ。
しかし、そうすると、電波が取れるようになるまで、座標は出るが、地図上に現在地が表示されない。電波が取れても動作が遅い。反省して、GPSの地図ダウンロードは、手抜きがないようにしないといけない。しかし、非常時のためにGPSを携帯していて良かった。
平時にGPSで現在地を見る癖をつけると、読図能力が落ちる。しかし、本当に何も見えないときは、短時間で正確な現在地が特定できるだけで本当に助かる。
ブラックアウトすると、現在地特定のための目視情報が何も得られないから、読図ができても、役に立たない。
現在地さえ分かれば、目視情報がなくても、コンパスナビでルート復帰できる。コンパスナビでの復帰に実績がついた。
トップは藪漕ぎ(雪ではラッセル)に集中するので、コンパスは、セカンドがナビする。今回セカンドは私だった。
今回は、山慣れたメンバーで、誰も焦ることなく落ちついていた。私には、こんなことは初めてだった。普段、慎重だからピンチの経験が積めないのだ。
■ 山の言葉
今回は、山がおいでと言っていながら、次々と予想外の試練を課してきた。増水、急流、深い淵、徒渉、髙巻き、懸垂、リードクライム、ルートファインディング、激藪の藪漕ぎ、押す時間、慣れた尾根でのブラックアウト、コンパスナビゲーション…それは、ゆりかごで成長しなさい、という意味だったのか・・・。経験を積めと。
■ 疲労とペースアップのバランス
帰宅したら、23時だった。夫は夕飯を食べないで待ってくれていた。
考えてみれば、私はいつも連れて行く側の責任感の大きさから、慎重で安全マージンを大きく取るので、”良い子の山時間”ばかりだ。18時下山程度の経験も少ない。大抵が15時には山を終わり、16時でちょっと遅いという感覚だ。
一番遅くなったのは、女性の友人とヘッデンギリギリの金峰甲武信の縦走で、14時間歩き、19時ごろ、日暮れスレスレで下山口に着いた。他には夫と11月の西天狗でスレスレ登山した。雪の仙丈ヶ岳では、一瞬だけホワイトアウトしたが、足の強さで切り抜け、夫を急かしたせいで喧嘩したが、結果オーライだった。
思わぬスレスレ登山では、疲労とペースアップのバランスを取るのが難しい。
今回は、15時間近く歩き、今までの最長記録更新だ。
山行前と山行中は、睡眠時間も足りていない。下りは暗かったので慎重に歩き、明るい間に歩くより時間を掛けたと思う。それで正解だったと思う。
思わぬ試練となった、初めての山行だった。
沢はいい。夏に涼しく、緑美しく、水は澄んで、ロープの出番も豊富だ。登攀は岩と違い、容易だ。水を担がなくても済み、焚火もできる。外界との隔絶度が高く、自然を満喫できる。山の人工化が進む中で、残された最後の聖域だ。
だが、危険が大きい。浮石や水で滑りやすいのは当たり前。足元はすぐに崩れ、ホールドは立木がベストで、細い木の根でも、あればうれしく、草なんてこともある。枯れた茅にすがる羽目になることもある。
滝はぬめり、滑りやすく、既に8mも滑って落ちたことがある。ランニングも取れない。深い淵には溺死の可能性がある。水流には流される。怪我をしてもヘリは来ない。携帯もつながらない。雨になったら焚火もできない。”万が一”は、北アより考えたくない非常事態だ。
沢は明神主稜など易しく感じさせられる。沢では人間の無力さと同時に、生命の力強さも感じられる。
■ 大きな山行
今回は荒川源流をたどる、一泊二日の大きな沢山行だった。行程は大きく分けると3つ。水量の多い本流。沢が名前を変える中流域。そして、快適そうな源流部。当初、核心は、本流だと思っていた。泳ぎがあるのだ。ライフジャケットを用意した。しかし、思いがけない展開で下山核心だった。
■ 水量
初日、本流部は、最初から無し決定だった。被災者も出した大きな台風の後で、水量が非常に多い。迫力の滝を写真に収めながら、単純に登山道を歩く。晴れて気持ちが良い。山が歓迎で微笑んでいるようだ。
■ 入渓
沢沿いの登山道から、沢が見えない為、入渓ポイントを間違わないためには、地形を見る力が必要だ。地図と地形を照らし合わせる。目の前に大きな尾根が見える。その先に顕著な尾根が無い。ここだろうと、アタリを付けて尾根を降りてみる。尾根は、かなり急で苦労するが、降りてみたらバッチリ二股だった。
入渓点では水流は強く水深もあり、さっそくスクランブル徒渉が必要になる。山は我々を追い返しているようには見えないが、この先も甘くはないよ、ということか。
11時、遡行開始。
■ 大髙巻き&懸垂
予想以上に水量が多く難儀する。ガイドブックには、難なく通過できると書かれているゴルジュは、どう見ても無理にしか見えない。両サイドがゴルジュの為、最初から大高巻きする羽目になった。
どんどん登るが、登れば登るほど、降りる地点の判別がつきづらくなる。さっそく一本目の懸垂。トップが降りると姿が見えなくなり、意思疎通が不安になる。セカンドで降りるが、沢での懸垂は自然地形なので、岩での懸垂よりロープの流れを作るのが難しい。まっすぐに降りれるわけがなく、ロープを制御しながら降りる。カラビナ懸垂。屈曲まで来ると、上に様子を伝えた。
とても降りれそうにない、不可能な場所に上からは見えたが、見えるところまで来ると、なんとか後1ピッチで降りれそうだった。ただ安定した太い木まで、あと1mほどロープが足りない。手を伸ばしても届かないので、懸垂のロープにスリングを足し、立木になんとか届き、そちらでセルフを取ってから、懸垂のロープを解除。
最近は、岩で使う60と120ではなく、180のソウンスリングと250の6㎜細引きを持ち歩いている。沢では全然こちらが使える。上に笛でコールし、念のためロープを引いて合図する。次の懸垂は、トップで行く。任されるのはうれしい。
■ シビアな徒渉
再入渓するも、水量が多く、徒渉が困難で、先頭が突破し、フィックスを作る。それでも流されそうな激流だ。
徒渉では流された場合に備え、ザイルはつけないか、もしくは、ザイルを流せる用意が必要だ。
落ちて流されたらどこで止まるか。下を見ると、大きな淵に水が白く泡を吹いている。その下は小滝。小滝までは落ちそうにないが、淵で濁流に飲まれて、溺れ死ぬことは、あるかもしれない。
躊躇していると、水流を和らげるためにトップが盾になってくれた。
覚悟を決めて、ザックのストラップを外す。今夏のほら貝のゴルジュも、水量が多く大変だったが、ここもかなりシビアな徒渉。何とか無事徒渉して、振り向くと、後続の男性も苦労していた。
「最近、上ノ廊下を女性だけで遡行した記録があるんですけど…」と言うと、「ここより上ノ廊下の徒渉の方が易しいと思うよ」との返事。そんなにシビアな徒渉なのか。怖くて当然か。
■ 一難去ってまた一難の初日
出てくる滝はみな水量が多すぎ、巻き決定。左右を見て、巻けそうか、巻くならどこか、最初に相談する。合意が出来てから、トップが登る。フォローでも結構大変だ。
巻いたほうがザレた地面は、足元が崩れやすく、緊張を解くことができない。一難去ってまた一難で、とても無理という箇所が続く。
■ 幕営
この日は結局、計画の場所まで到達する前に、幕営適地が出てきたため、15時で切り上げる。この先1時間以内に適地が出てくるか、当てにならないからだ。
■ 判断と総合力
こうした各種の判断には、経験と知恵が必要だ。一般登山など、経験も何もいらない。いるのは常識だけだ。
豊富な経験が必要な判断力や山の総合力は過小評価され、登頂数の競争や標高の競争、グレードの競い合いといった数値で表現できるような、矮小化された”パーツ”が評価を受ける。
どのルートを取るか?
ロープをいつ出すか?
どう出すか?
ダメだったらどうするか?
その時、敗退はどうするか?
こうした総合的な判断力や戦略に経験値を積み上げることこそ、山という活動そのものだと思う。
自然をよく知らなければ、危険から身を守れない。迂闊だったと死んでしまうのが落ちだ。危険と山とは表裏一体だ。
人が介在することで山は危険なものではなくなる。危険でない山を危険にし、仲間を怪我や危険に陥れる人もいる。山とどう向き合うか?山との対話はそこから始まる。
■ 釣りと焚火と・・・
幕場では、さっそく焚火と食事の用意。タープを張る。みな行動を理解しているので、指示が要らないのが楽だ。ブルーシートが残置されていたので、洗ってきれいにして床面積を広げた。焚火を拾う。
後はお魚釣りにそれぞれがいそしむ。まずは餌の川の虫を捕る。釣りはだいぶ粘ってみたが、釣果は残念ながら無し。初めての釣り。
焚火はビックリするような、大きな木まで燃やした。こんなの燃えるの?と思ったが、無理やりにでも燃やしてしまう。濡れていて、なかなか火が付かないが、焚火がないと寒い。いつも夫が焚火は上手で燃やしてくれるので、夫がいたらよかったのに…と思った。
ご飯も焚火で炊く予定だったが、時間的に燃え盛る火が熾火になるのに、間に合わなかった。
夕食はすき焼き。生卵つき。ビールは一人1缶ふるまわれた。担げる人がいると助かる。あとのお酒は各自。
すっかりリラックスタイムだ。楽しく夜が更け、12時ごろ就寝と山の行動時間としては、だいぶ押した。
シュラフカバーに入る。リーダーのマットは5ミリくらいしかない。本物の山ヤだ。最近のウルトラライトなど目ではない。明け方は寒かった。寒いと感じるころがいつも3時4時で、目が覚めてちょうど良いと言えば、ちょうど良い。
タープ泊は、テントより寒い。でも風が感じられる。沢では様子を感じられるのが大事だ。まだタープ泊は何度目かだが、自分のタープが欲しい。
翌日は少し寝坊し、5時起床。焚火を熾し、豆からひいたコーヒーとご飯。6:40出発。
1時間で当初予定の幕営地に出た。1時間なら、昨日少し頑張っても良かったが、見ると焚火用の薪に乏しかった。
■ 快適な源流部
さらに進む。滝だけではなく、釜が深くても、髙巻きが必要になる。7:50、二股で源流部に入ると、やっと水量が減ってきた。源流部としては多い水量。でも、シビアな徒渉はなく、腰まで濡れても、ロープは出さずに渡れた。水が冷たい。蛇行しているため、何度も徒渉を繰り返す。
沢はどんどん快適度を増してきた。スピードもアップ。本来は特に大高巻など必要なく、すべて楽しく登れて越えられる滝ばかりの沢のはずなのだ。
■ ミニマムバージョンの登攀具
そう思っていたので、私は今回は登攀具を軽量化し、ミニマムバージョンの登攀装備で参加していた。登攀的な沢の時は、初級でも、ハーケン、ハンマー、カムまで持って行く。人数が多ければ30mのロープも入れる。
今回はハンマーは2本あるのが分かっていたし、ハーケン以外は用意していない。スリングもカラビナも2~3と最小。それは登攀的な沢ではないと想定したからだ(実際、滝場はロープを出さなかった)。その代り、泳ぎに備えて防水はしっかりしてきた。
■ 魔がさす
大髙巻きで、大きなルンゼを先頭が行く。長い。ふと魔が刺してしまった。もっと小さく巻けないかと言うと、トップがルートを偵察に行く。
行けるそうだ。セカンドで行って見たら、エライ場所だった。ほぼ垂直にガレたルンゼのトラバース。支点は立木だが、トップはよくこんなところ行ったなと思った。えぐれて、崩落地と言って良い地形だ。恐怖グレードの高い箇所だった。
トラバースなので、ロープクランプで行ったが、クライミングは大変だった。支点を一つ回収して、重いザックの後続が歩きやすいように工夫した。
支点があれば足場がシビア。足場があれば支点がない。足場と支点では支点を選ぶのが、リードする人の心境なのか。
セカンド以降は足場を優先しても、大丈夫そうだった。ぶら下がってもロープが伸びるだけだ。ただセカンドでロープを背負って行けば良かったな、とついてから悔やむ。まだ先があったからだ。大きな立木にセルフを取る。足場は狭く、3人が限度だ。
■ リード
次のピッチをみると、ほぼ直上。支点も取れそうだ。「リードする?」と聞かれたのでいく。サードが背負ってきたロープで、先入れ先出し式に、後続が登ってくる間にリードする。
クライミングは、屈曲すれば、易しくなるが、一度そっちで上がってみたが、ロープの流れが悪く、一度クライムダウンした。
やはりシングルだと直上が良い。となると、被った凹角。登れるんだろうか?そういえば、流れてしまった小同心クラック、写真では、こんな感じだったな。入る前に一ピン取った。
支点はかなり大きな木と根っこでトータル3本取った。あと1mで終了点の足場のある立木なのに、その、あと1mが出ない。20mしかないのだ。岩だとまだまだ出るのに。
しかし、セカンドはスタートしたように見える。仕方なく、セルフを取り、急いで丈夫な木の根っこで支点を作る。しかし、マスト結びをしたが、それにも、シビアなギリギリのロープの長さ。
アンカーが1点では、不安なので、もう1点取りたい。が、ロープの長さがない。それでアンザイレンを解いて、その分で、バックアップを作った。
フォローはビレイではなく、フィックスを頼って登ってくることになるが、分かってくれるだろうか?と不安でいると、ちゃんとプルージックで登ってきた。ラストは張られていないので、登りにくそうだが、直上する凹角は短いので、ごぼうでOKだった。
次のピッチは別の人のリード。短いトラバースだった。ラストで出ると、最初に登っていたルンゼの終了点辺り。なんのことはない、回り道して、危険な想いをして遊んでいただけだった。
ロープを出した分、時間がかかる。10時半になってしまい、貴重な時間のロスのような気がしないでもないが、遊んでしまったなぁ。けれど、かなり面白かった。遊びに来たんだから、遊んでもいいか。時間ロスの心配もあり、トップを先に行かせるため、ロープはラストで登った私がまとめる。2本あると、そういう時短ができるのだ。
支点作成の能力やランナウト、状況の判断力に不安を持たれているときは、リードさせてもらえない。
自分で自分を危険に陥れる可能性がある人と思われていると、リードはできないのだ。救助させられる羽目に陥るのは困るから。
だから、リードを任されたときはうれしかった。任せてくれたのは、山を経験させてやりたいという親心のようなものだと思う。ちょっとした愛情と、それに試験が兼ねてあった。私は合格したのだろうか。
■ 砂岩スラブ
後は、美しい渓相の気持ち良い流れが続く。数か所、短い足ではスタンスが遠く、お助けを出してもらった。順調に沢を遡行する。奥三俣で13時。いよいよツメだ。あと標高差450m。2時間のつもりだから、気分的にかなり楽になる。
少しリラックスして、楽しく沢を遡行する。次々と見どころがあるキレイな滝が出てくる。ぬめっている滝もあったが、おおむね快適な登攀で、楽勝モードで進む。
上は砂岩でスタンスに乏しいスラブ滝が出てきた。トップが落ちる。小川山でこの傾斜なら登れそうとチャレンジしてみる。流芯はスタンスがなく、爪半分の小さなカチが一つあるだけ。サイドプッシュを試みるが、サイドは砂で脆く崩れる。となると、流芯しかなく、バランスクライムになりそうで、靴のフリクションだけが頼りになるので、辞めておいた。
ただこの箇所は髙巻でも、砂岩質の為、トップが落を起し、クライムダウンも難儀していた。私もチャレンジしてみるが、うーん…。岩ならなんとかなると分かるクライミングだが、砂岩は乗ったら崩れそうで、前例がすでにあるので辞めておく。辞めておいて褒められた。
■ ツメ
やがてボサがひどくなり、遡行が苦痛になってくると、沢靴を地下足袋に履きかえ、水を補給していよいよツメ。ツメは苦しい。
毎度のことだが、落石注意。ガレなので、古い石に足を置かないと、新しい石はすぐ落ちてくる。ラクが避けられなくなれば、尾根に逃げ、樹林の中を歩くと、汗が噴き出す。
予想より1時間多くかかり15時に稜線に出た。遊んでしまった分だ。
しかし、ピークと思った箇所は、目指すピーク手前のコルだった。がっかり。ということは、あと標高100ぐらいある。
■ 激藪
しかも行って見たら、密集したしらびその稚樹とシャクナゲの激藪で、先頭とくっついて登らないと閉じた藪をかき分ける手間で、もっと時間を喰ってしまう。
私も藪は経験があるが、この藪は今まで経験した中で、もっとも濃い藪だった。つまり前の人が2m先でも見えないくらいの藪。ハイハイも加え、シャクナゲの枝に乗り、しらびその稚樹で擦り傷を作りながら進む。
この藪には、してやられた。エライこった!という感じだった。ザックの重い人は、もうゲンナリしていた。しかし、切り抜けるしか他にルートはないのだ。頑張るしかない。
しかし、このペースでは…。今夜はもうワンビバーク必要かもしれない。その場合は…と近くの避難小屋を思い浮かべる。この山域に詳しくて良かった。食料は非常食と、その他スープ類やアミノ飲料が余っている。宿泊装備はある。朝、多少すきっ腹で出ても、下りだから平気だろう…、そんなことを考えた。
運よく、最後は密集度が薄くなり、1時間のプラス程度でピークに抜けた。16時。予定は14時~15時だったのに。激藪で1時間アップだ。
■ 下り
あとは下りを残すだけだ。前に私がこの尾根を歩いたときは、意外に時間が掛かった。その時は地図読みしながらだったから、ということもあるか…今回は、すでに来たことがあるから、飛ばして降りよう。休憩を済ませ、16:20、下山開始。
前に来た時は、下りはじめがすごく面白かったが、今回は特に難なく赤布を見つける。面白みには欠けるが、飛ばす。飛ばしているつもりだが、スピードが出ない。みな少し疲れが出ているのだ。
振り向くと「次の三角点まで」と言う。その”次”がなかなか出てこない。暗くなってきた。後続も離れてきた。疲労を見てとったリーダーが一本取ると言う。18時を回っていた。2300から1600まで標高差700を1時間半だ。
辺りが暗くなり、ヘッドライト装着。先頭を歩きだす。5分と経たずにリーダーに「ヤバい」と告げる。後の読図ポイントがまだ少し先だった。
あと少し進んでいたら、考えずに降りれるところだったが、歩きだすとすっかり暗くなってきた。赤布が見えない。いくらも進まないで、立ち往生する。
とりあえず、確実な地点へ戻り、コンパスを設定する。ほぼ南下だ。ただ、そんなことは分かっているので、あまり助けにはならない。
■ 尾根の出だしは難しいと言うこと
尾根の出だしの角度は、通常、微妙すぎて、あまり参考にならないのだ。たいていは少し間違って、正しい尾根が目視で確認できるようになってから、補正する。
だが、もう暗すぎ、補正できない。尾根の下り出しで、ブラックアウトはとてもヤバい。どうする?私には経験がない。考えられるのは、、ホワイトアウトナビゲーションと同じことをするか、ワンビバークして夜明けを待つか。
■ コンパスのこと
コンパスには当て方がある。尾根が入り組んで複雑な場合は、細かくコンパスを当て、小さく地形を拾う。そうしないと助けにならないのだ。
地形的にその場所はまさにそういうところだった。尾根の分岐の下り出しだ。まず、大きく二つの尾根に別れ、すぐに東側の尾根はさらに3つの尾根に分岐して、トータル4つの尾根になる。出だしは、あまり傾斜がない。方角も、どの尾根も最初は似た位置でスタートだ。目的の尾根は西から二つ目。あと距離にして500mで明瞭な防火帯に出るのに…。
■ ルートロス
とりあえず目の前に踏み跡を進む。左か?右か?赤布が充実している尾根だが、暗すぎて見つからない。踏み跡があり、行って見る。
気が付くとトラバースしており、おかしい。尾根に乗っていたらトラバースはない。右から沢音がする。沢音は聞こえてくるなら、左のはずだ。マズイなあ…。まずいよ。立ち止まり、作戦会議。どうする?
■ GPS
まずは地図を見る。そうだ、GPSもある、とスマホを出す。GPSの座標を出そうとするが、座標がすぐ出ない。
節電で機内モードにしていて、前に電波を拾っていたときから丸一日以上経ち、少し前の座標を出しているようだ。まったく参考にならない位置を表示している。
予備電池に接続し、機内モードを解除する。電波を拾い始め、しばらくすると、アンテナが3本立った。ソフトバンク、エライ!自宅に電話して遭難ではないと夫に告げる。19時。
座標で現在地を出したりするが、難しい。すこし、焦りが混じり始める。間違っていることは確実だ。
■ 暗中模索
今いるところはトラバースなので、尾根の上に乗ることにする。ただ斜面が深い茅の藪で、直線的に歩けず、南下が北上になったりする。地形を参考にすることはできないのだ。しばらく、南下ではなく北上したりと、茅の中を、藪が薄い箇所を求めて、文字通り暗中模索する。
■ 直線的ナビゲーションについて
雪山のホワイトアウトナビゲーションでは、非常時の最後の手段は直線だ。非常時ではない、通常の地図読みでは、進路決定はコンパスでしても、見て取れる障害物は迂回する。例えば、藪があれば巻き、巻いた分はルート復帰する。小ピークも同じだ。山の斜面は合理的でないので通らない。
厳密な地図読みでは、ピークとコルだけをつなげる。そして障害物は巻く。しかし、ホワイトアウトではそれができないので、トラバースだろうが、藪だろうが、直線的に進まないといけないのだ。暗闇の上に、困難と危険が倍増。方角だけが頼りだから、仕方がないのだ。
通常そのような進み方は頭が悪い。障害物につっこむと危険が増し、時間が余計かかり、体力を消耗するだけだからだ。
しかし、今回は闇では、それしかない。ホワイトアウトならぬ、ブラックアウトだからだ。
■ GPS起動
GPSが復活し、ルートの軌跡も取れるようになり、現在地が判明する。
やはり、想定通り、ひとつ西隣の尾根に乗ってしまったようだ。
そこで東に方向を修正する。ひどい茅藪。かき分け、かき分け進む。
すると、なんと!コンパスで直進し始めてから、30分しないうちに、見覚えがある場所に出た。
■ ルート復帰
ここは三角点があるピークだ。広く抜けている。防火帯は刈り取られているので、下界の光も星空も見え、森林との境界線がはっきりしている。これで帰れる!とホッとして、冗談を言い合いながら下る。
ルート復帰した時、20時になっていた。東進と決めてからはルート復帰は早かった。1時間半ほど、余計にハラハラさせられたことになる。
本来、明るければ近道も取れた。しかし、ルートの明瞭さは期待できないので、すでに暗くなった時点で、安全を見て、長くても明瞭な方を下山するしか選択肢はない。そのため、下山終了はさらに1時間かかり21時だった。
下山口から20分ほど車道を歩いて駐車場まで戻った。21時20分、登山終了だった。缶コーヒーでお祝いした。
■ ロスタイムについて
16:20のスタートだから、5時間だ。ルートロスしていたのは1時間だが、ヘッデン歩きを加え、トータル2時間余計にかかった。この尾根は、この山域では最も長く、標高差は1100、距離は5~6km。大体登り4~5時間、下り2.5~3時間くらいの尾根だ。
つまり16時半出発では、順調でも最後の1時間はヘッドライトになる。それは、前の行程が押したからだ。2時間は押しているので、トータル4時間は余計にかかったことになる。
今回は最終的に地図読みが必要にならない箇所に来る前に、ヘッデンで歩ける場所に到着していたら、2時間ほど早かっただろう。だが、疲労もあり、ほんの数百メートル手前で日が暮れてしまった。宿泊装備でザックも重かった。予想外の藪漕ぎで体力がだいぶ消耗した。
■ GPSを使わなくなっていたこと
最近、GPSは山行中は、ほとんど無用の長物でログ取り専門だ。自分で地形を読んで歩けるようになったので、現在地の確認には必要がないから、合宿でもない限り、事前に地図をダウンロードしない。山行後の楽しみにログを取るだけだ。
しかし、そうすると、電波が取れるようになるまで、座標は出るが、地図上に現在地が表示されない。電波が取れても動作が遅い。反省して、GPSの地図ダウンロードは、手抜きがないようにしないといけない。しかし、非常時のためにGPSを携帯していて良かった。
平時にGPSで現在地を見る癖をつけると、読図能力が落ちる。しかし、本当に何も見えないときは、短時間で正確な現在地が特定できるだけで本当に助かる。
ブラックアウトすると、現在地特定のための目視情報が何も得られないから、読図ができても、役に立たない。
現在地さえ分かれば、目視情報がなくても、コンパスナビでルート復帰できる。コンパスナビでの復帰に実績がついた。
トップは藪漕ぎ(雪ではラッセル)に集中するので、コンパスは、セカンドがナビする。今回セカンドは私だった。
今回は、山慣れたメンバーで、誰も焦ることなく落ちついていた。私には、こんなことは初めてだった。普段、慎重だからピンチの経験が積めないのだ。
■ 山の言葉
今回は、山がおいでと言っていながら、次々と予想外の試練を課してきた。増水、急流、深い淵、徒渉、髙巻き、懸垂、リードクライム、ルートファインディング、激藪の藪漕ぎ、押す時間、慣れた尾根でのブラックアウト、コンパスナビゲーション…それは、ゆりかごで成長しなさい、という意味だったのか・・・。経験を積めと。
■ 疲労とペースアップのバランス
帰宅したら、23時だった。夫は夕飯を食べないで待ってくれていた。
考えてみれば、私はいつも連れて行く側の責任感の大きさから、慎重で安全マージンを大きく取るので、”良い子の山時間”ばかりだ。18時下山程度の経験も少ない。大抵が15時には山を終わり、16時でちょっと遅いという感覚だ。
一番遅くなったのは、女性の友人とヘッデンギリギリの金峰甲武信の縦走で、14時間歩き、19時ごろ、日暮れスレスレで下山口に着いた。他には夫と11月の西天狗でスレスレ登山した。雪の仙丈ヶ岳では、一瞬だけホワイトアウトしたが、足の強さで切り抜け、夫を急かしたせいで喧嘩したが、結果オーライだった。
思わぬスレスレ登山では、疲労とペースアップのバランスを取るのが難しい。
今回は、15時間近く歩き、今までの最長記録更新だ。
山行前と山行中は、睡眠時間も足りていない。下りは暗かったので慎重に歩き、明るい間に歩くより時間を掛けたと思う。それで正解だったと思う。
思わぬ試練となった、初めての山行だった。
9/10/2015
渓流足袋の思い出
今日は、買い物ついでで、上州屋に立ち寄った。
私は買い物があまり好きでない。特にショッピングモールでのお買い物は、好きではない。かかっている大音量の音楽や、大量の品物に精神的な圧迫を感じる。実際、あれはそういう効果を狙っていると思う。
で、消費することを追い立てられているような気がして、大型店はキライなのだ。が、モールまで行かないと、カルディはないし、カルディVS成城石井だと、どう見てもカルディのほうが安い。それで、時々は、カルディに行かないといけないことになる。・・・ので、今日は、その仕方なしの買い物日だったのだ。
上州屋には、沢靴の交換フエルトを買いに立ち寄った。大峰のフエルトを交換しなくてはならないのだ。ボンドとフエルトで約3000円。
まだ10回程度しか沢に行っていないのに、私の大峰はもう張替が来てしまった。早いなぁ…。
フエルトの減りが早すぎる。これはフエルトの質にも因るのかもしれない。羊毛製はヘリが早いと言われているから。
その上、下山にも履きっぱなしにしたことが数回あったからなぁ…。最近、下山用に鋲付の足袋を履いたら、これが優れもので、ものすごくフリクションが良かった。ただ少し大きい。小さいのを買ったのだが・・・。
今日は上州屋で、渓流たびを履いてみたが、渓流たびは、S、M、Lのサイズ揃えしかなく、Sサイズでも、ぶかぶかで、とてもじゃないがダメだった。残念。
渓流足袋と言えば、思い出がある。
登山を始めてすぐの頃、「渓流たびってありますか?」と、上州屋に行ったら、「この世にそのような靴はない」と言われたことがあった(汗)。
?
今思えば、あれは、私のような小柄な女性が、渓流足袋が必要になるような活動をするのを阻止する目的だったのだろう。
同じようなことが冬山の手袋でもあった。当時肘まであるゴアテックスのグローブが必要だった。ラッセルしたとき、雪が入らないからだ。ところが、そんなものは必要ないでしょうと、けんもほろろな対応をされたのだった。
■ ガラスの天井
目に見えないバリア…よくガラスの天井に例えられる・・・が、登山をしていると、こういう風に、特段思いつく、否定的な材料がなくても、見くびられたり、なんだりして、希望する道にすすめないことがある。
頭っからあなたにはできないから、とツアーに誘導されるのもそうだし、自分で判断する、とか、自分の力で山に行く、などは、否定されがちだ。
最初の頃はそれは心配が作り出していることなのだ・・・と好意的に解釈していた。でも、どうも違うようだ。では、何が作り出しているのだろうか?
そのガラスの天井は、登山界のものなのか?というと、そうでもないようだ。というのは、私は帰省などで、大阪や東京を通る折に登山用品店に行き、異なる感触の接客を受けているからだ。女性の買い物客にも、きちんと対応してくれる。
もしかしたら、山梨県が他県と比べて保守的で、女性が登山をすることについて、理解がないのだろうか?
あるいは、単純に店員さん自体の知識量が都会と比べて貧弱なのかもしれない???
あるいは、客の無知に付け込んで、ツアーに誘導するのが良い商売となっているのかもしれない?
しかし、まぁ無知に付け込む商売は、どこにでもあるものかもしれない。
随分、前に新宿の有名な登山用品店で、「私は本格的な登山をするのですが…」と断って、冬靴を見に行ったら、買っても仕方のない、スカルパのファントムガイドを薦められてしまった。スカルパのファントム6000とファントムガイドでは似て非なる靴だ。
で、結局、そういう店員さんとは、もう話をしないことにしている。店員さんと意地の張り合いをしても仕方がない。
しかし、都会では隣の登山道具屋へ行けばいい程度のことだが、山梨ではそういう訳にはいかない。
というわけで、困ったな~と思うのだが、結局、そうなると、知識のあやふやな山梨では、心配過ぎて買い物できず、結局、都会で買ってきたりするので、こうした不可解な対応の原因がなんであれ、結果としては、山梨での商売は、ますます逃げて行ってしまっているかもしれない。
結局、一体誰が勝っているのだろうか? 謎だ。
私は買い物があまり好きでない。特にショッピングモールでのお買い物は、好きではない。かかっている大音量の音楽や、大量の品物に精神的な圧迫を感じる。実際、あれはそういう効果を狙っていると思う。
で、消費することを追い立てられているような気がして、大型店はキライなのだ。が、モールまで行かないと、カルディはないし、カルディVS成城石井だと、どう見てもカルディのほうが安い。それで、時々は、カルディに行かないといけないことになる。・・・ので、今日は、その仕方なしの買い物日だったのだ。
上州屋には、沢靴の交換フエルトを買いに立ち寄った。大峰のフエルトを交換しなくてはならないのだ。ボンドとフエルトで約3000円。
まだ10回程度しか沢に行っていないのに、私の大峰はもう張替が来てしまった。早いなぁ…。
フエルトの減りが早すぎる。これはフエルトの質にも因るのかもしれない。羊毛製はヘリが早いと言われているから。
その上、下山にも履きっぱなしにしたことが数回あったからなぁ…。最近、下山用に鋲付の足袋を履いたら、これが優れもので、ものすごくフリクションが良かった。ただ少し大きい。小さいのを買ったのだが・・・。
今日は上州屋で、渓流たびを履いてみたが、渓流たびは、S、M、Lのサイズ揃えしかなく、Sサイズでも、ぶかぶかで、とてもじゃないがダメだった。残念。
渓流足袋と言えば、思い出がある。
登山を始めてすぐの頃、「渓流たびってありますか?」と、上州屋に行ったら、「この世にそのような靴はない」と言われたことがあった(汗)。
?
今思えば、あれは、私のような小柄な女性が、渓流足袋が必要になるような活動をするのを阻止する目的だったのだろう。
同じようなことが冬山の手袋でもあった。当時肘まであるゴアテックスのグローブが必要だった。ラッセルしたとき、雪が入らないからだ。ところが、そんなものは必要ないでしょうと、けんもほろろな対応をされたのだった。
■ ガラスの天井
目に見えないバリア…よくガラスの天井に例えられる・・・が、登山をしていると、こういう風に、特段思いつく、否定的な材料がなくても、見くびられたり、なんだりして、希望する道にすすめないことがある。
頭っからあなたにはできないから、とツアーに誘導されるのもそうだし、自分で判断する、とか、自分の力で山に行く、などは、否定されがちだ。
最初の頃はそれは心配が作り出していることなのだ・・・と好意的に解釈していた。でも、どうも違うようだ。では、何が作り出しているのだろうか?
そのガラスの天井は、登山界のものなのか?というと、そうでもないようだ。というのは、私は帰省などで、大阪や東京を通る折に登山用品店に行き、異なる感触の接客を受けているからだ。女性の買い物客にも、きちんと対応してくれる。
もしかしたら、山梨県が他県と比べて保守的で、女性が登山をすることについて、理解がないのだろうか?
あるいは、単純に店員さん自体の知識量が都会と比べて貧弱なのかもしれない???
あるいは、客の無知に付け込んで、ツアーに誘導するのが良い商売となっているのかもしれない?
しかし、まぁ無知に付け込む商売は、どこにでもあるものかもしれない。
随分、前に新宿の有名な登山用品店で、「私は本格的な登山をするのですが…」と断って、冬靴を見に行ったら、買っても仕方のない、スカルパのファントムガイドを薦められてしまった。スカルパのファントム6000とファントムガイドでは似て非なる靴だ。
で、結局、そういう店員さんとは、もう話をしないことにしている。店員さんと意地の張り合いをしても仕方がない。
しかし、都会では隣の登山道具屋へ行けばいい程度のことだが、山梨ではそういう訳にはいかない。
というわけで、困ったな~と思うのだが、結局、そうなると、知識のあやふやな山梨では、心配過ぎて買い物できず、結局、都会で買ってきたりするので、こうした不可解な対応の原因がなんであれ、結果としては、山梨での商売は、ますます逃げて行ってしまっているかもしれない。
結局、一体誰が勝っているのだろうか? 謎だ。
9/06/2015
失敗の歴史
今日は甲府はまた雨・・・また夏に戻ると言う話はどうなったのだろうか・・・?!
・・・昨日は、良い歴史を振り返った。今日は、失敗の歴史を振り返ろうと思う。
■ 失敗の歴史
失敗と言えるかどうか分からない。しかし、登山1年目で、11月初旬、西穂丸山へ行き、易しく感じたので、さらに進み、独評手前まで行った。先行者は一人しかおらず、そのおじさんは、トレースが無くなったと前方で叫び、そうか、と思ってそこから折り返した。
夫は高所恐怖症があるので、わたしより下で折り返したがっていた。私の判断では、安全と感じたので、この時はそのまま進んでいる。初心者なので、ストックと6本のアイゼンだった。
西穂を選んだのは夫の選択。前の日はロープウェーで千石園地まで。翌日晴れたため、この山行になった。当時は、ザックを小屋において行けば楽だったなーと後で振り返るような初心者だった。
登山3年目で講習会に行った時、初心者で西穂丸山(独評)は、危険だと言われた。個人的な感想としては、その意見には心外だった。そこは小屋がある一般道だからだ。当時から用心深い登山者で天候はチェックしたし、無理はしていない。実際、危険は感じなかった。
しかし、無知の所産である、と言われたら、そうかもしれない、としか返事はできない。
その後、厳冬期八ヶ岳の、前三つ、三ツ頭に登頂したが、これも、世間?の大批判を喰らった。しかし、天気図を見ていき、天候は1月、2月でも、3月下旬並みだったりもし、その批判には大いに疑問を感じた。
冬の天狗岳は、6本爪アイゼンとストックで何の不自由も感じなかった。(当時は雪=アイゼンと教わっており、登山口からアイゼンを付けていた。)
ただ、12本爪アイゼンを持つ身となると、6本のアイゼンの出番は年間を通して、ほとんどない。
■ ザイルワーク
ザイルワークに関して、私の過去最大の失態は、生涯2度目の沢、芦沢横沢だ。
なんと、自分でエイトノットを解き、アンザイレンを解いて、ロープの交差を直し、再度エイトノットを結ぶと言う離れ業を核心部で、しかも片手でやってのけた。
その頃は初心者で、敗退の練習(懸垂下降)のために、その沢に行っていた。自ら命綱を解くという失態をしても、そうと知らず、帰ってきた。
その後、阿弥陀中央稜で一ピッチのセカンドの確保を経験したが、足元にしか確保支点になりそうなものがなく、自分が立つ位置が、セカンドの確保支点より下であるほうが楽だと言うことがまだ分かっていなかった。
確保では、通常の確保で、ロープが一度流れたことがあった。小川山の、小川山物語と言う課題で、先輩のコールより、リードで落ちそうになっている隣のクライマーに気を盗られたのだ。幸い、大事に至らず、ロープはすぐに握れたが、流れたロープは握り戻すのが非常に難しいと言うことは分かった。
その後その話は周辺のクライマーにして、「そうか、そういうことがあったのか」「グリグリ2を使うのもよいかも」などの反応だった。私は基本的には自分の失敗は人に言いふらしておくほうだ。
その後、アイスで行った小川山唐沢の滝では、セカンドの確保支点に、つららをつかった。丈夫そうな大きなつららだったが、もう一点、アイススクリューで取るべきだった。あとから「スクリュー持っていないのだとおもった」とセカンドに言われた。考えてみたら、スクリューは、ちゃんとぶら下げていたのだった。
懸垂支点は、2本のロープの結び目が、岩側になるようにして、岩側のロープを引くと、引っかからないのだが、なぜか逆になったことがあった。ロープが引っかかるようだと、ロープの回収不能になることがある。
沢では、マイクロカムを回収する際、回収ができなかったことがあった。その時は、ヌンチャクだけを回収し、カムとぬんちゃくセットで回収してきてほしいと言われた。
また、トップで懸垂で降りた先輩のコールが聞こえず、長い間、待って懸垂したことがあった。ロープを2度引いたら、OKという意味だそうだったが、そういうことは教わっていなかった。
■ 墜落滑落
瑞牆のカサメリ沢で、クライミングの帰りに、ザックの重さに体が後ろに引かれて、2回転半したことがあった。
その他、最近では、小常木沢でラバーソールが滑り、8m滑り落ちた。
どちらも怪我はない。身体が柔らかいのが幸いしているのかもしれない。
フリーでは落ちろ落ちろ!と言われるが、アルパインでは安易に落ちることは、慎まなくてはならない。
フリーの課題は、岩の弱点を突いて設定したものではなく、クライミングのむずかしさを求めたものが多いので、落ちながら上達する。
したがって、フリーで登れなくても、自分が下手だとか残念だとかは思わないが・・・落ちてナンボという、その価値観をアルパインに持ち込まないようにしたいといつも思う。
アルパインでは落ちたら一大事だ。アルパインや沢で落ちないために、フリーがあるのに、フリーでは落ちろ、というのは、本当に辞めて欲しいと思う。安易に落ちる癖をつけるべきではない。
■ 敗退
初めて自力で行ったズミ沢では、核心部の大滝で、ふくらんだところに残置ハーケンが見えた。それを目指して登り、進退窮まり、登れないので、懸垂して降りた・・・
それ以降、登る前によくルートを見るようになった。少しでも不安があれば、避けるようになった。
ある人から、私がザイルを欲しいと思う時に、めんどくさいからなしで登らせようとする人とは組まないようにアドバイスを受けた。
一方、なんでもかんでも出せという話になると困る。基準は、穂高の一般縦走路レベルでは出さない、が一般的、なのだそうだ。
安全に関する感覚は人それぞれだし、年齢や、雨、疲労、直前にコケた、高度感、などでも変わるので、怖いときに出せるのがロープの良いところなので、出せるときに出さない人ではありたくないと思っている。
■ リスク認識
一回目の鳳凰三山では、雨だった。これは天気を読めており、リスクを知っていて取ったので、厳密には挫折ではないが、夫が同じように天候リスクを認識しておらず、まったく備えがなかったために、彼にとってはコリゴリの山行になった。
私は雨の予報を聞き、ツエルト、細引き、ダウンのシュラフ、など、宿泊ができるくらいの装備を持って出たので、寒いと評判の小屋でもなんともなかった。が、そうではなく、八ヶ岳の汗をかくほど温かい山小屋に慣れた、夫は寒さに懲り懲りしたそうだ。
同じように、GWの仙丈ヶ岳でホワイトアウトしたとき、私は天候悪化や視界不良から逃げ切る脚力があったが、夫はそれがなく、ホワイトアウトを避けるために早く稜線から逃げる、ということができなかった。それだけでなく、ホワイトアウトしたらマズイ、という認識も彼は持つことができず、その認識の違いをあとで思い知った。彼はこの山に行ってはいけない人だったのだった。
この経験で、人にはリスクを受け入れられる量が、山への理解度とともに決まっているのだ、と思い知り、夫とは、小屋があり、衆人環視である、雪山以外行かないことにした。彼は自分に命の危険が迫っていても、それをキャッチすることができないからだ。
これは厳しい現実だったし、わたしにとっては大きな挫折だった。
その他、小さな挫折は色々ある。久しぶりにカラビナ懸垂のムンターを作ろうとすると忘れていたり、だ。
ロープワークは、いつもの道具でやっていると、いつも使わない道具のことは忘れてしまう。たまには使わないといけないものだ。
■ 失敗
山の失敗は、大抵は、山に行く前からスタートしている、と思う。
・計画に無理がある
・装備に不足がある
・メンバーの力量に不足がある
・気の緩みがある
・認識に不揃いがある
の5つ。たとえば、せっかく早起きしたのに、バスの時間が朝にはなく、バスの時間まで寝て待つことになったこともあった。
気の緩みは、アプローチの研究不足から、登山口に到達するのが遅れたり、忘れ物、につながる。
認識の不揃いは、例えばアイスに行くのに、登山靴やウエアを私から借りて当然だと請求されたことがあった。
力量不足は、認識の不揃いよりもマシだ。力量が不足(体力・クライミング力)は、行程を短くしたりと工夫すればよいことで、一般にフォローの人が考えるより、大きな問題ではない。それより無理をして、頑張って、突然不調に陥るほうがダメージが大きい。
ただ赤岳に登るのに、6本爪アイゼンで来る、トレースの無い雪山を登るのに地図を持たないでくる、などという致命的な装備不足になると、登山口敗退にせざるを得なくなり、パーティ全員の休日を無駄にしなくてはならなくなる。
失敗は人間にはつきもので、失敗すること自体は、悪いことではない。
しかし、自分の認識の甘さのために他の人の命を危険に晒したら、それはきちんと何が悪かったのかを反省し、二度と同じことをしないようによく考えて対策を練らなくてはならない。
・・・昨日は、良い歴史を振り返った。今日は、失敗の歴史を振り返ろうと思う。
■ 失敗の歴史
失敗と言えるかどうか分からない。しかし、登山1年目で、11月初旬、西穂丸山へ行き、易しく感じたので、さらに進み、独評手前まで行った。先行者は一人しかおらず、そのおじさんは、トレースが無くなったと前方で叫び、そうか、と思ってそこから折り返した。
夫は高所恐怖症があるので、わたしより下で折り返したがっていた。私の判断では、安全と感じたので、この時はそのまま進んでいる。初心者なので、ストックと6本のアイゼンだった。
西穂を選んだのは夫の選択。前の日はロープウェーで千石園地まで。翌日晴れたため、この山行になった。当時は、ザックを小屋において行けば楽だったなーと後で振り返るような初心者だった。
登山3年目で講習会に行った時、初心者で西穂丸山(独評)は、危険だと言われた。個人的な感想としては、その意見には心外だった。そこは小屋がある一般道だからだ。当時から用心深い登山者で天候はチェックしたし、無理はしていない。実際、危険は感じなかった。
しかし、無知の所産である、と言われたら、そうかもしれない、としか返事はできない。
その後、厳冬期八ヶ岳の、前三つ、三ツ頭に登頂したが、これも、世間?の大批判を喰らった。しかし、天気図を見ていき、天候は1月、2月でも、3月下旬並みだったりもし、その批判には大いに疑問を感じた。
冬の天狗岳は、6本爪アイゼンとストックで何の不自由も感じなかった。(当時は雪=アイゼンと教わっており、登山口からアイゼンを付けていた。)
ただ、12本爪アイゼンを持つ身となると、6本のアイゼンの出番は年間を通して、ほとんどない。
■ ザイルワーク
ザイルワークに関して、私の過去最大の失態は、生涯2度目の沢、芦沢横沢だ。
なんと、自分でエイトノットを解き、アンザイレンを解いて、ロープの交差を直し、再度エイトノットを結ぶと言う離れ業を核心部で、しかも片手でやってのけた。
その頃は初心者で、敗退の練習(懸垂下降)のために、その沢に行っていた。自ら命綱を解くという失態をしても、そうと知らず、帰ってきた。
その後、阿弥陀中央稜で一ピッチのセカンドの確保を経験したが、足元にしか確保支点になりそうなものがなく、自分が立つ位置が、セカンドの確保支点より下であるほうが楽だと言うことがまだ分かっていなかった。
確保では、通常の確保で、ロープが一度流れたことがあった。小川山の、小川山物語と言う課題で、先輩のコールより、リードで落ちそうになっている隣のクライマーに気を盗られたのだ。幸い、大事に至らず、ロープはすぐに握れたが、流れたロープは握り戻すのが非常に難しいと言うことは分かった。
その後その話は周辺のクライマーにして、「そうか、そういうことがあったのか」「グリグリ2を使うのもよいかも」などの反応だった。私は基本的には自分の失敗は人に言いふらしておくほうだ。
その後、アイスで行った小川山唐沢の滝では、セカンドの確保支点に、つららをつかった。丈夫そうな大きなつららだったが、もう一点、アイススクリューで取るべきだった。あとから「スクリュー持っていないのだとおもった」とセカンドに言われた。考えてみたら、スクリューは、ちゃんとぶら下げていたのだった。
懸垂支点は、2本のロープの結び目が、岩側になるようにして、岩側のロープを引くと、引っかからないのだが、なぜか逆になったことがあった。ロープが引っかかるようだと、ロープの回収不能になることがある。
沢では、マイクロカムを回収する際、回収ができなかったことがあった。その時は、ヌンチャクだけを回収し、カムとぬんちゃくセットで回収してきてほしいと言われた。
また、トップで懸垂で降りた先輩のコールが聞こえず、長い間、待って懸垂したことがあった。ロープを2度引いたら、OKという意味だそうだったが、そういうことは教わっていなかった。
■ 墜落滑落
瑞牆のカサメリ沢で、クライミングの帰りに、ザックの重さに体が後ろに引かれて、2回転半したことがあった。
その他、最近では、小常木沢でラバーソールが滑り、8m滑り落ちた。
どちらも怪我はない。身体が柔らかいのが幸いしているのかもしれない。
フリーでは落ちろ落ちろ!と言われるが、アルパインでは安易に落ちることは、慎まなくてはならない。
フリーの課題は、岩の弱点を突いて設定したものではなく、クライミングのむずかしさを求めたものが多いので、落ちながら上達する。
したがって、フリーで登れなくても、自分が下手だとか残念だとかは思わないが・・・落ちてナンボという、その価値観をアルパインに持ち込まないようにしたいといつも思う。
アルパインでは落ちたら一大事だ。アルパインや沢で落ちないために、フリーがあるのに、フリーでは落ちろ、というのは、本当に辞めて欲しいと思う。安易に落ちる癖をつけるべきではない。
■ 敗退
初めて自力で行ったズミ沢では、核心部の大滝で、ふくらんだところに残置ハーケンが見えた。それを目指して登り、進退窮まり、登れないので、懸垂して降りた・・・
それ以降、登る前によくルートを見るようになった。少しでも不安があれば、避けるようになった。
ある人から、私がザイルを欲しいと思う時に、めんどくさいからなしで登らせようとする人とは組まないようにアドバイスを受けた。
一方、なんでもかんでも出せという話になると困る。基準は、穂高の一般縦走路レベルでは出さない、が一般的、なのだそうだ。
安全に関する感覚は人それぞれだし、年齢や、雨、疲労、直前にコケた、高度感、などでも変わるので、怖いときに出せるのがロープの良いところなので、出せるときに出さない人ではありたくないと思っている。
■ リスク認識
一回目の鳳凰三山では、雨だった。これは天気を読めており、リスクを知っていて取ったので、厳密には挫折ではないが、夫が同じように天候リスクを認識しておらず、まったく備えがなかったために、彼にとってはコリゴリの山行になった。
私は雨の予報を聞き、ツエルト、細引き、ダウンのシュラフ、など、宿泊ができるくらいの装備を持って出たので、寒いと評判の小屋でもなんともなかった。が、そうではなく、八ヶ岳の汗をかくほど温かい山小屋に慣れた、夫は寒さに懲り懲りしたそうだ。
同じように、GWの仙丈ヶ岳でホワイトアウトしたとき、私は天候悪化や視界不良から逃げ切る脚力があったが、夫はそれがなく、ホワイトアウトを避けるために早く稜線から逃げる、ということができなかった。それだけでなく、ホワイトアウトしたらマズイ、という認識も彼は持つことができず、その認識の違いをあとで思い知った。彼はこの山に行ってはいけない人だったのだった。
この経験で、人にはリスクを受け入れられる量が、山への理解度とともに決まっているのだ、と思い知り、夫とは、小屋があり、衆人環視である、雪山以外行かないことにした。彼は自分に命の危険が迫っていても、それをキャッチすることができないからだ。
これは厳しい現実だったし、わたしにとっては大きな挫折だった。
その他、小さな挫折は色々ある。久しぶりにカラビナ懸垂のムンターを作ろうとすると忘れていたり、だ。
ロープワークは、いつもの道具でやっていると、いつも使わない道具のことは忘れてしまう。たまには使わないといけないものだ。
■ 失敗
山の失敗は、大抵は、山に行く前からスタートしている、と思う。
・計画に無理がある
・装備に不足がある
・メンバーの力量に不足がある
・気の緩みがある
・認識に不揃いがある
の5つ。たとえば、せっかく早起きしたのに、バスの時間が朝にはなく、バスの時間まで寝て待つことになったこともあった。
気の緩みは、アプローチの研究不足から、登山口に到達するのが遅れたり、忘れ物、につながる。
認識の不揃いは、例えばアイスに行くのに、登山靴やウエアを私から借りて当然だと請求されたことがあった。
力量不足は、認識の不揃いよりもマシだ。力量が不足(体力・クライミング力)は、行程を短くしたりと工夫すればよいことで、一般にフォローの人が考えるより、大きな問題ではない。それより無理をして、頑張って、突然不調に陥るほうがダメージが大きい。
ただ赤岳に登るのに、6本爪アイゼンで来る、トレースの無い雪山を登るのに地図を持たないでくる、などという致命的な装備不足になると、登山口敗退にせざるを得なくなり、パーティ全員の休日を無駄にしなくてはならなくなる。
失敗は人間にはつきもので、失敗すること自体は、悪いことではない。
しかし、自分の認識の甘さのために他の人の命を危険に晒したら、それはきちんと何が悪かったのかを反省し、二度と同じことをしないようによく考えて対策を練らなくてはならない。
9/05/2015
私の山のふりかえり
今日は、自分の山の歴史を振り返る。
■ 初期: 厳冬期の八ヶ岳
始まりは5年前の9月だった。私たち夫婦は、夫の転勤で山梨へ来た。
試しに参加した、ストローハットという、近所の山道具屋がやっていた登山ツアーに参加したのがきっかけだった。場所は八ヶ岳の西岳。標高差1000、往復7時間の山だ。
我が家は甲府に来た頃は車が一台しかなかったので、私は道路も分からず、登山はまったくガイドブックの一冊も持ったことがなく、したがって、どこへ向かっているのか?も、西岳が八ヶ岳の一部であるということも知らずに参加した。
10月、黄金色に輝くカラマツの紅葉が美しかった。
スタートしたのが10月だったので、冬山はお休み。ゼロシーズン目だ。夏山一シーズン目の翌年、ゴールデンウィークに、夫と八ヶ岳に出かけた。ニュウだ。北八つと本沢温泉からの硫黄岳を歩いた。
その後、夫と茅ヶ岳や瑞牆山に行き、夏の低山に辟易。低山趣味はないと分かった。かといって、混雑したアルプスは行く気になれなかったため、夏の山はお休み。11月は西穂独評。雪を抱いた姿は神々しく美しかった。
その後、冬山1シーズン目、本格的に冬山にデビューした。北八ヶ岳に通い、小屋泊に慣れると、南八つの権現岳に通った。権現はなかなか登れず、前三つ止まりで、最初のうちはピッケルも持っていなかった。だから、三ツ頭に到達した時は感動した。権現は標高差1500の山。
冬山2シーズン目、これ以上は、6本爪アイゼンとストックで行ける場所は行き尽くしてしまい、どうしても本格的なアイゼンとピッケルが必要になる山に行きたい、ということになった。
この時点で冬の天狗岳には3回すでに登っていた。
終にピッケルを購入。使用法を知らない道具はタダの重しだ。誰かにピッケルの使用法を学ばなくてはならない。そこでガイドの三上さんを紹介されたわけだった。
この出会いが本格的な岳人との最初の出会いだ。
三上ガイドと冬天狗へ行ったが、その時点で私達夫婦にとっては、4回目だった。ピッケルの使用法と緊急時の雪洞シェルター、ホワイトアウト時のナビゲーションを教わった。
その後、三上ガイドが「どこに行きたいの?」と聞くので、「川俣尾根」と答えた。
川俣尾根、と聞いた三上ガイドは驚愕した。が、作ってくれた山行が「ツルネ東稜~権現~川俣尾根」だ。この山行は、私の労働と交換で成立した。ガイド料は払っていない。素晴らしい山行だった。
当時、私は古い岳人の特集記事を基に、自分たちの登山計画を立てていた。それはこうだ。まずGWの八ヶ岳で足慣らしをする。次に夏の雪渓がある山に行く。冬の低山。八ヶ岳の天狗岳。北横岳や縞枯山、硫黄岳。美ヶ原や霧ヶ峰。そこから、ステップアップして、赤岳。権現。冬の鳳凰三山。さらには谷川岳、白毛門。八ヶ岳に近いのが山梨に住むことの強みだと思った。
その仕上げとしては、八ヶ岳の冬季の全山縦走を考えていた。この計画は、残念なことに、ここ数年、講習会や、山岳会などの他人を巻き込む活動を優先したため、棚上げになっている。
さて、八ヶ岳の全山縦走が目標だと三上ガイドに話すと、それは「アルパイン志向」と呼ぶのだと教えてくれた。したがって、私たち夫婦、特に私は、登山の初心者のころからアルパイン志向だったことになる。
冬山3シーズン目の冬、冬山は終にお正月の鳳凰三山(薬師小屋泊)まで漕ぎつけた。7時間のロングルートだ。ノートレースの尾根を歩き、自分たちだけのステップを刻む、美しい山だった。
冬天狗に一緒に行った人たちは、5、6万円程度のガイド料を払って、赤岳横岳の縦走をしていたが、私たちは、技術度を上げ、その保険にガイドを雇うのではなく、体力がいるルートをこなす、ということを先に選んだ。当時から、人で混雑する赤岳は好きになれなかった。
その年は、沢登りのツアーに参加し、奥多摩の海沢に行った。また、冬の氷雪技術を上げ、ガイドレス登山を続けるための技術的保険として、アイスクライミングを取り入れることとして、体験クライミングに参加した。
”ガイドレスで行く”、それが私たちの価値観だった。しかし、三上ガイドはそのための心強い応援者だった。今でも感謝しているし、本の貸し借りやギアの貸し借りを通じて交友は細いが続いている。
ただ厳冬期の鳳凰三山に自力登山ができる以上、これ以上の山に行くとなると、単独や個人山行では危険が大きすぎる。技術が必要だ。
■ 脱・一般道: 明神岳主稜への長い道
そのため、登山学校を模索した。山岳会は登山学校ではないので、最初から考慮になく、私はあくまでも、講習、教わることを目的にしていた。
自分で行く山しか考えていなかったからだ。
当初は岩崎元朗さんが主宰する、無名山塾に入会予定だった。厳冬期のタカマタギに行き、八ヶ岳と全く違う雪に驚いた。講師の方の山の技術、見る目、経験に感服した。今でもこの出会いを信じ、この時の講師の方に山を教わることができれば、どれだけよかっただろうと思っている。今となっては叶わぬ夢になってしまった。
当時、たまたま見かけた、長野県山岳総合センターのリーダー講習に応募したら、合格してしまった。過去3年間にものすごい勢いで冬山に行っていたからだろう。
この講習は無名山塾を私塾とすれば、公立学校ということができる。費用が安く、講習生は全国から募集で、約30人、女性は5人(だったが、すぐに3人に減ってしまった)。1年間の講習で、スタートは4月。登山4年目の夏だ。
リーダー講習は、知らなかったが、イマドキの山岳会がリーダー育成出来なくなっている事情を補足する講習だった。センターには様々な講習があり、”リーダー”というのは、単発で募集される”一般”との対比くらいの認識でいた。1年の講習だからだろう・・・と。実際は リーダーとはリードする人のことで、トップを登る気がない人はお呼びではない。
当時は山の世界については無知で何も知らない。しかし、講師たちが目指していたのは、”前穂北尾根が登れるリーダークラスの育成”だった。卒業後の講習生は、講師が所属する山岳会に吸収されていくのだった。
さて何をやったのか?
初日は、エイトノット、マスト結び、半マストからスタートし、実地は雪上訓練。扇沢の雪渓を17kg~20kgを担いで上がり、テント泊し、滑落停止訓練し、初めての懸垂下降は、雪上。初めての確保も雪上だった。その次はツエルト泊。
危急時対策と題する講習は、七倉沢で、ハーケンで中間支点を取りながらのフィックスロープ作成、徒渉でのフィックスロープの作成、岩場での懸垂下降、救助、搬送、など。この時も沢泊。当時は、クライミングシステムをまったく知らず、知っていること前提で講習は進むため、面食らった。
ただ”山をするとはどんなことか?”については、良く分かっている方のようだった。
クラスメートの誰も、『日本登山大系』を知らないことに驚いた。
夏山は、講習がないので、講習会費用をねん出するため、小屋バイトに行き、それで4年目は慌ただしく、過ぎて行った。帰りに、ついでで、後立を縦走。4泊5日。
講習会の場合、仲間関係は一時的なものだ。一方、山に必要なのは、息の長い関係だった。
12月、仲間を求め、山岳会を模索した。ガイドをしている人を通じ、岳連に尋ね、山梨県下の活動があると思われる、6つの会を検討した。そのうち1つは紹介が必要でやめた。5件にメールを出し、返答が来たのは3つだけだった。それらの例会にもそれぞれ参加した。
このころ、岩場で偶然出会った、老練なクライマーが師匠となってくれ、様々な助言を安心してもらうことができるようになった。このことについては、心から感謝している。
冬山は、自分たちで行った鳳凰三山から、師匠とともに歩いた、甲斐駒黒戸尾根、阿弥陀中央稜が最高の難度の山となった。
が、これは自分の山とするには、復習登山が必要だった。登山5年目の冬に突入した。3月に山岳会に入会したが、このシーズンは師匠としか歩いていない。アイスで広河原沢左俣へ行った。素晴らしく美しかった。
山岳会には3月に入会した。このことについては後悔している。私は入会の勧誘を受けて、入会したのだが、そうすべきではなかった。
山岳会に入会するときは、その山岳会に、教えたいと心から思っている人がいるときだけにしなくてはならない。
それは指導者という大げさなことではなくても、友達でもよく、またパートナーでもよい。一緒に行く相手が、そもそも最低一人、存在する会を選ばなくては意味がない。山岳会は、はないちもんめと同じことなのだ。それには山が合う必要がある。
私の山は地味だ。派手な山は、混雑しているので最初から敬遠しているのだから。ただ誰もが行く山は、一つの目安を得るためには知ってはおく必要があると思っている。文三郎尾根と言われて分からなければ、冬山のリスクの話ができない。
3月、ツルネ東稜は、「川俣尾根から権現登頂」という山として結実した。しかし、この山行は、肝心のプレゼントした相手(山岳会の人たち)には価値や意味を理解されなかった、という残念な山行として終わった。この山行には、私はこういう山に価値を見出します、という山の価値観を伝える意味があった。川俣尾根に登山道はない。危険はないがラッセルとルートファインディングが必要な山だからだ。
私はこの時、天狗尾根に行きたい人にすでになっていて、それがかなわないなら、単独がはばかられる、ツルネ東稜~旭岳経由での権現登頂を今度は自分で歩きたいと思っていた。これはザイルを出す山だから、単独では歩けないからだ。しかし、会のレベルに合わせるという目的で、川俣尾根からの登頂になったのだが、それでも12時間の山は大きすぎると苦情を受けた。
この時点での天狗尾根は、努力目標を設定するという目的で行くべき山だった。登山で山を大きくしていく・・・10から12の山へステップアップするには、15の山を経験しないといけない。そうすると、自分の行ける山は10から12へ大きくなる。例えば、私は前穂北尾根を経験したが、そのおかげで、おそらく北穂東稜には自分がリードして行くことができる。
登山は夏山4シーズン目に突入した。このころ、クライミングシステムの理解については、必死で独学し、マスターした。
役立ったのは、様々な教科書と言われる本と人工壁でのリードクライミングだった。まず目指したのは、ビレイ技術の習得だった。技術書や『生と死の分岐点』はむさぼるように読んだ。というか、読んでも読んでも、行間がある気がしたのだ。ビレイはスポーツクライミングで習得した。外岩で墜落した人を停止した経験がすでにある。
結局、文部省の登山研究所が出している確保理論を読むまでは、クライミングシステムを理解したと思えず、自信がつかなかった。リーダー講習から1年、クライミングシステムを理解するのに、結局、丸一年かかったことになる。
登山4回目の夏は、ひと夏をクラミングだけに捧げた。必要な投資、経費と思っていた。週に2回夜人工壁でクライミングし、土日は岩という生活だった。
■ 初期: 厳冬期の八ヶ岳
始まりは5年前の9月だった。私たち夫婦は、夫の転勤で山梨へ来た。
試しに参加した、ストローハットという、近所の山道具屋がやっていた登山ツアーに参加したのがきっかけだった。場所は八ヶ岳の西岳。標高差1000、往復7時間の山だ。
我が家は甲府に来た頃は車が一台しかなかったので、私は道路も分からず、登山はまったくガイドブックの一冊も持ったことがなく、したがって、どこへ向かっているのか?も、西岳が八ヶ岳の一部であるということも知らずに参加した。
10月、黄金色に輝くカラマツの紅葉が美しかった。
スタートしたのが10月だったので、冬山はお休み。ゼロシーズン目だ。夏山一シーズン目の翌年、ゴールデンウィークに、夫と八ヶ岳に出かけた。ニュウだ。北八つと本沢温泉からの硫黄岳を歩いた。
その後、夫と茅ヶ岳や瑞牆山に行き、夏の低山に辟易。低山趣味はないと分かった。かといって、混雑したアルプスは行く気になれなかったため、夏の山はお休み。11月は西穂独評。雪を抱いた姿は神々しく美しかった。
その後、冬山1シーズン目、本格的に冬山にデビューした。北八ヶ岳に通い、小屋泊に慣れると、南八つの権現岳に通った。権現はなかなか登れず、前三つ止まりで、最初のうちはピッケルも持っていなかった。だから、三ツ頭に到達した時は感動した。権現は標高差1500の山。
冬山2シーズン目、これ以上は、6本爪アイゼンとストックで行ける場所は行き尽くしてしまい、どうしても本格的なアイゼンとピッケルが必要になる山に行きたい、ということになった。
この時点で冬の天狗岳には3回すでに登っていた。
終にピッケルを購入。使用法を知らない道具はタダの重しだ。誰かにピッケルの使用法を学ばなくてはならない。そこでガイドの三上さんを紹介されたわけだった。
この出会いが本格的な岳人との最初の出会いだ。
三上ガイドと冬天狗へ行ったが、その時点で私達夫婦にとっては、4回目だった。ピッケルの使用法と緊急時の雪洞シェルター、ホワイトアウト時のナビゲーションを教わった。
その後、三上ガイドが「どこに行きたいの?」と聞くので、「川俣尾根」と答えた。
川俣尾根、と聞いた三上ガイドは驚愕した。が、作ってくれた山行が「ツルネ東稜~権現~川俣尾根」だ。この山行は、私の労働と交換で成立した。ガイド料は払っていない。素晴らしい山行だった。
当時、私は古い岳人の特集記事を基に、自分たちの登山計画を立てていた。それはこうだ。まずGWの八ヶ岳で足慣らしをする。次に夏の雪渓がある山に行く。冬の低山。八ヶ岳の天狗岳。北横岳や縞枯山、硫黄岳。美ヶ原や霧ヶ峰。そこから、ステップアップして、赤岳。権現。冬の鳳凰三山。さらには谷川岳、白毛門。八ヶ岳に近いのが山梨に住むことの強みだと思った。
その仕上げとしては、八ヶ岳の冬季の全山縦走を考えていた。この計画は、残念なことに、ここ数年、講習会や、山岳会などの他人を巻き込む活動を優先したため、棚上げになっている。
さて、八ヶ岳の全山縦走が目標だと三上ガイドに話すと、それは「アルパイン志向」と呼ぶのだと教えてくれた。したがって、私たち夫婦、特に私は、登山の初心者のころからアルパイン志向だったことになる。
冬山3シーズン目の冬、冬山は終にお正月の鳳凰三山(薬師小屋泊)まで漕ぎつけた。7時間のロングルートだ。ノートレースの尾根を歩き、自分たちだけのステップを刻む、美しい山だった。
冬天狗に一緒に行った人たちは、5、6万円程度のガイド料を払って、赤岳横岳の縦走をしていたが、私たちは、技術度を上げ、その保険にガイドを雇うのではなく、体力がいるルートをこなす、ということを先に選んだ。当時から、人で混雑する赤岳は好きになれなかった。
その年は、沢登りのツアーに参加し、奥多摩の海沢に行った。また、冬の氷雪技術を上げ、ガイドレス登山を続けるための技術的保険として、アイスクライミングを取り入れることとして、体験クライミングに参加した。
”ガイドレスで行く”、それが私たちの価値観だった。しかし、三上ガイドはそのための心強い応援者だった。今でも感謝しているし、本の貸し借りやギアの貸し借りを通じて交友は細いが続いている。
ただ厳冬期の鳳凰三山に自力登山ができる以上、これ以上の山に行くとなると、単独や個人山行では危険が大きすぎる。技術が必要だ。
■ 脱・一般道: 明神岳主稜への長い道
そのため、登山学校を模索した。山岳会は登山学校ではないので、最初から考慮になく、私はあくまでも、講習、教わることを目的にしていた。
自分で行く山しか考えていなかったからだ。
当初は岩崎元朗さんが主宰する、無名山塾に入会予定だった。厳冬期のタカマタギに行き、八ヶ岳と全く違う雪に驚いた。講師の方の山の技術、見る目、経験に感服した。今でもこの出会いを信じ、この時の講師の方に山を教わることができれば、どれだけよかっただろうと思っている。今となっては叶わぬ夢になってしまった。
当時、たまたま見かけた、長野県山岳総合センターのリーダー講習に応募したら、合格してしまった。過去3年間にものすごい勢いで冬山に行っていたからだろう。
この講習は無名山塾を私塾とすれば、公立学校ということができる。費用が安く、講習生は全国から募集で、約30人、女性は5人(だったが、すぐに3人に減ってしまった)。1年間の講習で、スタートは4月。登山4年目の夏だ。
リーダー講習は、知らなかったが、イマドキの山岳会がリーダー育成出来なくなっている事情を補足する講習だった。センターには様々な講習があり、”リーダー”というのは、単発で募集される”一般”との対比くらいの認識でいた。1年の講習だからだろう・・・と。実際は リーダーとはリードする人のことで、トップを登る気がない人はお呼びではない。
当時は山の世界については無知で何も知らない。しかし、講師たちが目指していたのは、”前穂北尾根が登れるリーダークラスの育成”だった。卒業後の講習生は、講師が所属する山岳会に吸収されていくのだった。
さて何をやったのか?
初日は、エイトノット、マスト結び、半マストからスタートし、実地は雪上訓練。扇沢の雪渓を17kg~20kgを担いで上がり、テント泊し、滑落停止訓練し、初めての懸垂下降は、雪上。初めての確保も雪上だった。その次はツエルト泊。
危急時対策と題する講習は、七倉沢で、ハーケンで中間支点を取りながらのフィックスロープ作成、徒渉でのフィックスロープの作成、岩場での懸垂下降、救助、搬送、など。この時も沢泊。当時は、クライミングシステムをまったく知らず、知っていること前提で講習は進むため、面食らった。
ただ”山をするとはどんなことか?”については、良く分かっている方のようだった。
クラスメートの誰も、『日本登山大系』を知らないことに驚いた。
夏山は、講習がないので、講習会費用をねん出するため、小屋バイトに行き、それで4年目は慌ただしく、過ぎて行った。帰りに、ついでで、後立を縦走。4泊5日。
講習会の場合、仲間関係は一時的なものだ。一方、山に必要なのは、息の長い関係だった。
12月、仲間を求め、山岳会を模索した。ガイドをしている人を通じ、岳連に尋ね、山梨県下の活動があると思われる、6つの会を検討した。そのうち1つは紹介が必要でやめた。5件にメールを出し、返答が来たのは3つだけだった。それらの例会にもそれぞれ参加した。
このころ、岩場で偶然出会った、老練なクライマーが師匠となってくれ、様々な助言を安心してもらうことができるようになった。このことについては、心から感謝している。
冬山は、自分たちで行った鳳凰三山から、師匠とともに歩いた、甲斐駒黒戸尾根、阿弥陀中央稜が最高の難度の山となった。
が、これは自分の山とするには、復習登山が必要だった。登山5年目の冬に突入した。3月に山岳会に入会したが、このシーズンは師匠としか歩いていない。アイスで広河原沢左俣へ行った。素晴らしく美しかった。
山岳会には3月に入会した。このことについては後悔している。私は入会の勧誘を受けて、入会したのだが、そうすべきではなかった。
山岳会に入会するときは、その山岳会に、教えたいと心から思っている人がいるときだけにしなくてはならない。
それは指導者という大げさなことではなくても、友達でもよく、またパートナーでもよい。一緒に行く相手が、そもそも最低一人、存在する会を選ばなくては意味がない。山岳会は、はないちもんめと同じことなのだ。それには山が合う必要がある。
私の山は地味だ。派手な山は、混雑しているので最初から敬遠しているのだから。ただ誰もが行く山は、一つの目安を得るためには知ってはおく必要があると思っている。文三郎尾根と言われて分からなければ、冬山のリスクの話ができない。
3月、ツルネ東稜は、「川俣尾根から権現登頂」という山として結実した。しかし、この山行は、肝心のプレゼントした相手(山岳会の人たち)には価値や意味を理解されなかった、という残念な山行として終わった。この山行には、私はこういう山に価値を見出します、という山の価値観を伝える意味があった。川俣尾根に登山道はない。危険はないがラッセルとルートファインディングが必要な山だからだ。
私はこの時、天狗尾根に行きたい人にすでになっていて、それがかなわないなら、単独がはばかられる、ツルネ東稜~旭岳経由での権現登頂を今度は自分で歩きたいと思っていた。これはザイルを出す山だから、単独では歩けないからだ。しかし、会のレベルに合わせるという目的で、川俣尾根からの登頂になったのだが、それでも12時間の山は大きすぎると苦情を受けた。
この時点での天狗尾根は、努力目標を設定するという目的で行くべき山だった。登山で山を大きくしていく・・・10から12の山へステップアップするには、15の山を経験しないといけない。そうすると、自分の行ける山は10から12へ大きくなる。例えば、私は前穂北尾根を経験したが、そのおかげで、おそらく北穂東稜には自分がリードして行くことができる。
登山は夏山4シーズン目に突入した。このころ、クライミングシステムの理解については、必死で独学し、マスターした。
役立ったのは、様々な教科書と言われる本と人工壁でのリードクライミングだった。まず目指したのは、ビレイ技術の習得だった。技術書や『生と死の分岐点』はむさぼるように読んだ。というか、読んでも読んでも、行間がある気がしたのだ。ビレイはスポーツクライミングで習得した。外岩で墜落した人を停止した経験がすでにある。
結局、文部省の登山研究所が出している確保理論を読むまでは、クライミングシステムを理解したと思えず、自信がつかなかった。リーダー講習から1年、クライミングシステムを理解するのに、結局、丸一年かかったことになる。
登山4回目の夏は、ひと夏をクラミングだけに捧げた。必要な投資、経費と思っていた。週に2回夜人工壁でクライミングし、土日は岩という生活だった。
行きたい山には行けず、講習会とクライミング、会山行で、義務やノルマを消化する日々だった。この年はフラストレーションを貯めた年だった。
秋に山岳会の先輩たちが北穂池・前穂北尾根に連れて行ってくれ、これがガス抜きとなった。
私は登山3年目までは冬山以外はほぼ知らず、4年目は講習だったので、基本的に夏山の経験はあまりない。
観光地化し、雑踏化した、夏の一般道を歩く経験が欲しいとは、初心者の当時から思っていなかった。皆がいくところには興味がそそられないのだ。
したがって、夏山といえば、最初からバリエーションしか存在しえなくなるわけだが、それは目指したわけではなく、結果的にそうならざるを得ない、という話だ。
夏山のバリエーションと言えば、本チャンと言われるアルパインルート、もしくは沢登りだ。
アルパインを志す場合、フリークライミングが加わる。フリーはアルパインの基礎を作るもの、と今日ではされてるからだ。
ただフリークライミングの人たちは山をしない人が多い。そこはクライミングを主と据えるか、山を主と据えるか、という問題だ。
クラミングだけをしたい人は、テントを担いでいく、重い荷を担いで、自分の足で山に登る活動には魅力を見出していない。車で乗り付けられるところで、クライミングだけをしたいのだ。ボルダリングも同じだ。したがって、根本的な思想の違いがあり、なかなか相いれない。
しかし、今の時代はフリークライミングなしに夏山の本チャンは存在しない。山好きな人には、クライミングを否定する人が多い。それも分かる。私自身がそうだったからだ。
しかし、アルパインの基礎がフリークライミングであると理解してからは、相いれなくても仕方がないとあきらめ、取り組むようになった。
フリーは、5級ならどの課題でも登れるようになる、つまり5級マスター、デシマルで言うと、11までは頑張りたいと思っている。今のグレードは、外岩リード、5.8.限界グレード5.10a。
夏山はアルパインか沢登りということで、アルパインのためには、都合2年を”自力で行く山”のために、先行投資している。登山5年目にしてやっと、明神岳主稜に行くことができるようになった。ずいぶん、遠回りした。2年分の努力が結実した、ということになる。
夏山のバリエーションルートについては、前穂北尾根以上の困難度は求めていない。私自身の行ける山で行きたい山と言う意味で、落としどころはそのレベルだと実感している。
■ 今後
一方、夏山の充実については、最初から沢を志向している。なぜか?それは、山において尾根は山の一部でしかないからだ。山を全部知ろうと思えば、谷もしらなくては、山の表情の半分を知ったことにしかならない。
沢登りには、山登りのすべてが凝縮されている。尾根だけでなく谷も、山の自然の造形の一部なのだ。尾根に景色がある以上に、沢には生命の息吹がある。すべての生き物は、水がないと生きていけないのだから。
沢登りはあらゆる登山形態の中でも、冬山同様に、危険が大きく、冬山以上に入門者に単独行が開かれていない分野だ。今年は沢登りを頑張りたいと願い、それは実現しつつあり、そのことに関しては感謝の気持ちしか沸き起こらない。
沢に関しては、師匠が去年、モロクボ沢など2か所を歩いてくれた。自力で歩く沢を志向し、ズミ沢、伝丈沢での沢泊、峠沢~青笹尾根などとして結実。初級の歩くだけで登攀要素がない沢については、すでに”自分の力で歩く沢”は実現した。
しかし登山では、10の山に行くには、12の山、15の山に行く経験を積まなくてはならない。
登山をなぜ好きなのか?
登山には、真の自由があるからだ。真の自由とは何か?
秋に山岳会の先輩たちが北穂池・前穂北尾根に連れて行ってくれ、これがガス抜きとなった。
私は登山3年目までは冬山以外はほぼ知らず、4年目は講習だったので、基本的に夏山の経験はあまりない。
観光地化し、雑踏化した、夏の一般道を歩く経験が欲しいとは、初心者の当時から思っていなかった。皆がいくところには興味がそそられないのだ。
したがって、夏山といえば、最初からバリエーションしか存在しえなくなるわけだが、それは目指したわけではなく、結果的にそうならざるを得ない、という話だ。
夏山のバリエーションと言えば、本チャンと言われるアルパインルート、もしくは沢登りだ。
アルパインを志す場合、フリークライミングが加わる。フリーはアルパインの基礎を作るもの、と今日ではされてるからだ。
ただフリークライミングの人たちは山をしない人が多い。そこはクライミングを主と据えるか、山を主と据えるか、という問題だ。
クラミングだけをしたい人は、テントを担いでいく、重い荷を担いで、自分の足で山に登る活動には魅力を見出していない。車で乗り付けられるところで、クライミングだけをしたいのだ。ボルダリングも同じだ。したがって、根本的な思想の違いがあり、なかなか相いれない。
しかし、今の時代はフリークライミングなしに夏山の本チャンは存在しない。山好きな人には、クライミングを否定する人が多い。それも分かる。私自身がそうだったからだ。
しかし、アルパインの基礎がフリークライミングであると理解してからは、相いれなくても仕方がないとあきらめ、取り組むようになった。
フリーは、5級ならどの課題でも登れるようになる、つまり5級マスター、デシマルで言うと、11までは頑張りたいと思っている。今のグレードは、外岩リード、5.8.限界グレード5.10a。
夏山はアルパインか沢登りということで、アルパインのためには、都合2年を”自力で行く山”のために、先行投資している。登山5年目にしてやっと、明神岳主稜に行くことができるようになった。ずいぶん、遠回りした。2年分の努力が結実した、ということになる。
夏山のバリエーションルートについては、前穂北尾根以上の困難度は求めていない。私自身の行ける山で行きたい山と言う意味で、落としどころはそのレベルだと実感している。
■ 今後
一方、夏山の充実については、最初から沢を志向している。なぜか?それは、山において尾根は山の一部でしかないからだ。山を全部知ろうと思えば、谷もしらなくては、山の表情の半分を知ったことにしかならない。
沢登りには、山登りのすべてが凝縮されている。尾根だけでなく谷も、山の自然の造形の一部なのだ。尾根に景色がある以上に、沢には生命の息吹がある。すべての生き物は、水がないと生きていけないのだから。
沢登りはあらゆる登山形態の中でも、冬山同様に、危険が大きく、冬山以上に入門者に単独行が開かれていない分野だ。今年は沢登りを頑張りたいと願い、それは実現しつつあり、そのことに関しては感謝の気持ちしか沸き起こらない。
沢に関しては、師匠が去年、モロクボ沢など2か所を歩いてくれた。自力で歩く沢を志向し、ズミ沢、伝丈沢での沢泊、峠沢~青笹尾根などとして結実。初級の歩くだけで登攀要素がない沢については、すでに”自分の力で歩く沢”は実現した。
しかし登山では、10の山に行くには、12の山、15の山に行く経験を積まなくてはならない。
登山をなぜ好きなのか?
登山には、真の自由があるからだ。真の自由とは何か?
自分の実力をよく知り、自分が制御できる範囲でリスクを取り、自分の好きなように歩くことだ。
その人の山のサイズが、その人の人間としての実力そのまま、なのである。登山では、人間の実力がとても分かりやすい。
自分自身の努力で、自分の行動範囲、自由を広げていく、のが、登山という活動ではないだろうか?そのために、応援者として、講習会があり、仲間がおり、指導者が存在する。
自分の自由度が拡大するには、自然に関する深い洞察力が必要となる。結果、山の自由を拡大することと、山について深く知るといういうことは、イコール関係となる。
そこが、山の経験値ということだ。自然に対する知識が深く、理解が大きいほど、山での自由度と安全性は増す。
そういう意味では、私の沢での自由度は非常に小さい。知識も技術も限定されている。自力で行ける沢は、伝丈沢程度だ。
一方、尾根での自由度は、もうすでに自分が願った通りに拡大した。これ以上は求めていない。
冬に目を転じると、雪稜では、これ以上、自由が拡大すること、つまり自力で行ける山が大きくなることについては、命の危険がある。
厳冬期の八ヶ岳でソロテント泊する人が、それ以上大きい山、を求めれば、かならずそこには凍傷や死の危険がある。したがって、雪稜で自由を拡大することはほぼ不可能だ。
一方、冬の垂直志向である、アイスは、ゲレンデとルートをこなしていく、その繰り返しがあるだけだ。2年ほど峰の松目沢と思い続けたが、機会が与えられず、去年、これはジョウゴ沢として結実した。ただし、ノーザイルだ。
・・・というわけで、総合すると、わたしにとっても、多くの岳人が到達したのと同じ結論が待っていた。
山における、自由拡大のフィールドは、おそらく沢にある、ということだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
道のあるところだけを登るのが山登りではない。がけにあおうが、密林に出くわそうが、どんなところが出てこようとも、そこを自由自在に歩けてこそ、初めて一人前の山登りということができるのである。
そのためには基礎訓練をしっかりやって、あらゆる技術を身につけておく必要がある。だから我々の学生時代には、ひとつの特技だけを身に着けたスペシャリストになることを避けて、オールラウンドの訓練をやるようにやかましくいったものだ。たとえば岩登り専門の人は、岩ばかりを求めて山を忘れてしまう。
一口に山と言っても、道標があり、登山道がちゃんとついている山もあれば、また炭焼き、樵の通る道を利用できるだけ利用し、最後は道なき道をかき分けて登らなければならない山もたくさんある。
山に登ってもすっきり登れることもあるし、つまずくときもある。いくら前もって資料をたんねんに集めたからといっても、それで百発百中とはいかないところに、いつまでたってもやめられない学問や登山の面白みがある。長年の経験がものをいうということもあるが、これはどこまでも理屈ではないと私は思っている。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 今西錦司
≪まとめ≫
・雪稜
キッカケ: 西岳・西穂独評
スタート: 厳冬期八ヶ岳
↓
・・・ツルネ東稜を経て
↓
お正月鳳凰三山
↓
・・・厳冬期甲斐駒黒戸尾根、を経て
↓
現在の実力: 厳冬期八ヶ岳単独テント泊
・アルパイン
キッカケ: 北岳単独
スタート: 後立山4泊5日単独テント泊縦走
↓
・・・ゲレンデ、小川山通い、および前穂北尾根を経て
↓
現在の実力: 明神岳主稜
・沢
・・・講習会(東沢釜の沢)を経て
↓
現在の実力: 伝丈沢(沢泊、焚火)、ズミ沢(1級程度の登攀)
・アイス
・・・講習会(岩根アイスツリー)
↓
・・・広河原沢左俣を経て
↓
現在の実力: 南沢小滝(ゲレンデ)、ジョウゴ沢(ルート ノーザイル突破)
その人の山のサイズが、その人の人間としての実力そのまま、なのである。登山では、人間の実力がとても分かりやすい。
自分自身の努力で、自分の行動範囲、自由を広げていく、のが、登山という活動ではないだろうか?そのために、応援者として、講習会があり、仲間がおり、指導者が存在する。
自分の自由度が拡大するには、自然に関する深い洞察力が必要となる。結果、山の自由を拡大することと、山について深く知るといういうことは、イコール関係となる。
そこが、山の経験値ということだ。自然に対する知識が深く、理解が大きいほど、山での自由度と安全性は増す。
そういう意味では、私の沢での自由度は非常に小さい。知識も技術も限定されている。自力で行ける沢は、伝丈沢程度だ。
一方、尾根での自由度は、もうすでに自分が願った通りに拡大した。これ以上は求めていない。
冬に目を転じると、雪稜では、これ以上、自由が拡大すること、つまり自力で行ける山が大きくなることについては、命の危険がある。
厳冬期の八ヶ岳でソロテント泊する人が、それ以上大きい山、を求めれば、かならずそこには凍傷や死の危険がある。したがって、雪稜で自由を拡大することはほぼ不可能だ。
一方、冬の垂直志向である、アイスは、ゲレンデとルートをこなしていく、その繰り返しがあるだけだ。2年ほど峰の松目沢と思い続けたが、機会が与えられず、去年、これはジョウゴ沢として結実した。ただし、ノーザイルだ。
・・・というわけで、総合すると、わたしにとっても、多くの岳人が到達したのと同じ結論が待っていた。
山における、自由拡大のフィールドは、おそらく沢にある、ということだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
道のあるところだけを登るのが山登りではない。がけにあおうが、密林に出くわそうが、どんなところが出てこようとも、そこを自由自在に歩けてこそ、初めて一人前の山登りということができるのである。
そのためには基礎訓練をしっかりやって、あらゆる技術を身につけておく必要がある。だから我々の学生時代には、ひとつの特技だけを身に着けたスペシャリストになることを避けて、オールラウンドの訓練をやるようにやかましくいったものだ。たとえば岩登り専門の人は、岩ばかりを求めて山を忘れてしまう。
一口に山と言っても、道標があり、登山道がちゃんとついている山もあれば、また炭焼き、樵の通る道を利用できるだけ利用し、最後は道なき道をかき分けて登らなければならない山もたくさんある。
山に登ってもすっきり登れることもあるし、つまずくときもある。いくら前もって資料をたんねんに集めたからといっても、それで百発百中とはいかないところに、いつまでたってもやめられない学問や登山の面白みがある。長年の経験がものをいうということもあるが、これはどこまでも理屈ではないと私は思っている。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 今西錦司
≪まとめ≫
・雪稜
キッカケ: 西岳・西穂独評
スタート: 厳冬期八ヶ岳
↓
・・・ツルネ東稜を経て
↓
お正月鳳凰三山
↓
・・・厳冬期甲斐駒黒戸尾根、を経て
↓
現在の実力: 厳冬期八ヶ岳単独テント泊
・アルパイン
キッカケ: 北岳単独
スタート: 後立山4泊5日単独テント泊縦走
↓
・・・ゲレンデ、小川山通い、および前穂北尾根を経て
↓
現在の実力: 明神岳主稜
・沢
・・・講習会(東沢釜の沢)を経て
↓
現在の実力: 伝丈沢(沢泊、焚火)、ズミ沢(1級程度の登攀)
・アイス
・・・講習会(岩根アイスツリー)
↓
・・・広河原沢左俣を経て
↓
現在の実力: 南沢小滝(ゲレンデ)、ジョウゴ沢(ルート ノーザイル突破)
9/04/2015
ヤマレコでストーキング被害報告がありました
■ストーキング?!
ヤマレコでストーカー被害が報告されました。
http://www.yamareco.com/modules/yamanote/detail.php?nid=1297
簡単に経緯をまとめると…
山で偶然の出会い
→さらなる偶然の出会いをヤマレコの計画書を悪用して演出
→個人情報交換
→ストーキング
ということだそうです… 非常にびっくり!な結果ですね。女性の目から見ると、一言、
怖い!
です。登山計画の悪用、ということです。
■ 誰に下山遅れを見つけてもらうか?
山行計画書は、山岳会に属していれば、通常は山岳会に出します。下山が無かったら遭難ということで、そうと確定すれば、警察署に連絡してくれます。また捜索にも出かけてくれます。
このことを 山行管理、と言います。山岳会の存在意義はそこにある、と一説に言われています。
一方、ヤマレコの計画書では、ヤマレコの自動連絡機能が山岳会の代わりをしてくれる、というわけです。(これは後述するコンパスでも同じです。)
プロのガイドさんはコンパスという名のサイトの利用を推奨していることが多いです。これは、ガイド組織がコンパスを作っているからですね(笑)。
≪まとめ≫
山岳会経由 個人 → 山岳会 → 警察署
無組織登山者 個人 → 警察
プロガイド 個人 → 警察
流れ的には、個人もプロガイドも変わりがない? 連絡と言う面で見ると、直接警察に連絡した場合のほうが、通報と言う意味では早いのかもしれないと思えます。
■ ヤマレコやコンパスのメリット?
ヤマレコやコンパスのメリットは何なのか? たぶん、使う側の理由より、行政側の理由の方が大きそうですが・・・とはいえ、たぶん、計画書が電子ファイル化されていれば、検索で情報がヒットできるため、対応が容易で、結果としては早いかもしれません。
例えば、登山口で登山ポストに出す登山届では、人の目で一つ一つ見て、仕分けしなくてはなりません。私も登山前に登山ポストに登山届を入れて、下山届を出していないときがありましたが、連絡が来たことはありませんよね。
余談ですが、ニュージーランドでは、DOCと呼ばれる組織が全登山、入山を管理しており、下山報告を出さないとすぐ捜索になってしまうそうです。人口が少ないからやりやすいのかもしれませんが、進んでいますね~!
私が不思議なのは、山岳会に登山届を出していても、上高地でまた登山ポストに入れる登山届を書くのですが、あれって必要なんですかね?
≪まとめ≫
・(たぶん)電子化した登山届は、登山ポストより、遭難した時、情報の特定が早い
■ コンパス?
では、プロであるガイドさんたちは、どうしているのか?と言いますと…コンパスが推奨されています。
使用法はこちら: http://www.mt-compass.com/teishutsu.php
機能はヤマレコと同じです。
下山遅れを見逃さないよう、下山の確認を促すメールが各種設定したメールアドレスに自動送信される、という仕組みです。
機能を提供している側である、コンパスやヤマレコは、個人情報を一時的にプールしている、という訳ですね。いや~イマドキ、個人情報は宝の山です(^^;)。
コンパスはヤマレコと比べて後発のため、
1)既にある記録から、ルートをコピーして山行計画を作成する機能がない
2)登録されている記録数がヤマレコとくらべ少ない
3)そのため、参考にできる新鮮な登山情報が少ない
4)バリエーションルートが載っていない
という問題があります。ヤマレコのほうが、平たく言えば、使い勝手に優れています。
■ 地図共有や印刷がらく
私がヤマレコの計画書を使い始めたのは、
ヤマレコでは地図の共有が簡単だから
です。
個人山行では、カシミールで地図を印刷すればいいことなので、ヤマレコを計画に使ったことはありません。
登山では、一般に、地図は2万5千の地図を通常、携帯するのが常識です。
地図の準備は、人それぞれ好きなようにやればよいのですが、2万5千の地図は売っている書店が少ないです。
国土地理院の地図は、実は、インターネットで注文し、取り寄せもできます・・・が、今度は、インターネットが使えない、もしくは使いたくない人もいます。
あとは、明日行きたいのに、郵送を待っていては間に合いません。
国土地理院の地図は、無料で全て公開されており、ウォッチずにアクセスすれば、誰でもすぐ印刷でき、良い時代になったなぁ~という感じです。
昔の人はどうやって地図を入手したのだろう???昔より今の方が格段に2万5千の地図は入手が容易なのでは、と推察しています。
うぉっちずやカシミールより、地図印刷の敷居が低いのがヤマレコです。
ヤマレコは、該当するルートを中心にした2万5千の地図の印刷が1クリックででき、印刷領域を加減するだけで、必要な個所を印刷できます。
≪ヤマレコで2万5千の地図を印刷するメリット≫
・地図が無料
・印刷が容易
・共有が容易
・最新の地図が入手できる
・拡大縮小が容易
・すぐ手に入る
・計画書をそのまま山行報告書へ利用できる
・前に歩いた人のルートを計画書に転用できる
私はしませんが、GPSをダウンロードすれば、その軌跡をナビにも使えます。ただそんなことをしたら、前の人が歩いた箇所をなぞるだけの登山となり、何が面白いのかなぁ・・・となるので、そのような使い方はしたことがありませんが。
というわけで、非常に使いやすいです。
コンパスの方は、段々とヤマレコの登山計画書並みになってきているようですが、
・後発であることと
・お役所目線で作ってある
だけにユーザーの使い勝手よりも、どちらかというとお役所仕事的な感じが先立つようで、イマヒトツ、使う理由が見当たりません。
ヤマレコでもコンパスでも、自宅で印刷した地図は、紙の質が悪いですから、防水加工は工夫する必要があります。
≪自宅印刷のデメリット≫
・紙質が水に弱い
・A4やA3など、自宅のプリンターの印刷サイズ限定
・最新の2万5千の国土地理院の地図のように陰影がない
■ 提出先
計画書が手書きでも、エクセルでも、ヤマレコでも、…どこで計画書を作っても、提出する先は、登ろうとする山が存在する都道府県の警察署です。
なので大事なのは、どこの山がどこの警察署の所管なのか…です。
例えば、同じ赤岳でも、野辺山側だと山梨県警になり、美濃戸側だと長野県警になります。
ちょっと余談になりますが、捜索活動に慣れているのは、山梨側ではなく、長野側です…、残念ながら現実です。
でも、山岳県と言われている県はそう多くありません。山梨県の山はこちらのメアド。
kst-chiiki@pref.yamanashi.lg.jp
長野県警
https://www.shinsei.elg-front.jp/nagano/uketsuke/dform.do?id=1359683176274
こちらに全国の山と登山届の提出先をまとめたサイトがあります。http://campsite7.jp/2013/12/17/3482/
助かりますね~!ネットって素晴らしい~
関東で活動する山ヤに必要そうなところだけ、抜粋してみました。電話番号だけの県もあります。
119番みたいな通報しか受け付けないということなのかなぁ?基本的に登山届けよりも、遭難と確定した通報だけが欲しいのかもしれません。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【谷川岳】0278-72-3688(0278-72-3688#)
【埼玉】048-825-7166(048-832-0110#)
【富山】kenkei01@tpp.pref.toyama.lg.jp(076-441-2211#)
【剣岳冬季】富山市新総曲輪1-7(076-444-3399#)
【長野県】長野市大字南長野字幅下692-2(026-233-0110#)
【長野県】http://p.tl/H9ax(026-235-3611#)
【山梨】kst-chiiki@pref.yamanashi.lg.jp(055-235-2121#3576)
【静岡】054-271-3776(054-271-0110#)
【神奈川】045-211-1212(045-211-1212#3532)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
これらの電話番号は、リーダーとなった場合だけでなく、メンバーとしていく場合でも、スマホに登録して置いたほうが良いでしょう。
どうせスマホのメモリを使うなら、有益な情報に使いたいですよね(笑)。
古くなって要らなくなった交友関係を整理して、役立ちそうな番号を入れておくのが◎。
■ その他のおススメポイント!
私は必ず山行計画書は、
・自宅に1枚、
・車に1枚
と計3枚用意しています。登山口の自分の車のダッシュボード、見えるところに1枚入れておきます。
というのも、仮に山岳会の誰にも気が着いてもらえなかった場合・・・登山口に不審な車が何日もあれば警察に通報されます。その時、役立ちます。
また、車が限定できれば確実にそこに行っている、ということは確定になるからです。
・転進対策
よく登山では転進になります。一度八ヶ岳に行く予定で、太刀岡山に転進になったことがありましたっけ…。八ヶ岳に登っているとみんなは思っていますから、もし転進先の太刀岡で遭難したら、捜索先は八ヶ岳になってしまいます。
その場合でも、車がなければ、その山には行っていない。転進先の太刀岡で車があり、登山計画が外から見える状態にあれば、その山に入ったということで捜索範囲はかなり狭められます。
それ以前ですが、家の人に行先を告げるのは大事なことです。
私の場合は夫も地図を読めるので、バリエーションルートでも、夫が歩く場所を理解している、というのが安心の一つの材料になっています。
ヤマレコでストーカー被害が報告されました。
http://www.yamareco.com/modules/yamanote/detail.php?nid=1297
簡単に経緯をまとめると…
山で偶然の出会い
→さらなる偶然の出会いをヤマレコの計画書を悪用して演出
→個人情報交換
→ストーキング
ということだそうです… 非常にびっくり!な結果ですね。女性の目から見ると、一言、
怖い!
です。登山計画の悪用、ということです。
■ 誰に下山遅れを見つけてもらうか?
山行計画書は、山岳会に属していれば、通常は山岳会に出します。下山が無かったら遭難ということで、そうと確定すれば、警察署に連絡してくれます。また捜索にも出かけてくれます。
このことを 山行管理、と言います。山岳会の存在意義はそこにある、と一説に言われています。
一方、ヤマレコの計画書では、ヤマレコの自動連絡機能が山岳会の代わりをしてくれる、というわけです。(これは後述するコンパスでも同じです。)
プロのガイドさんはコンパスという名のサイトの利用を推奨していることが多いです。これは、ガイド組織がコンパスを作っているからですね(笑)。
≪まとめ≫
山岳会経由 個人 → 山岳会 → 警察署
無組織登山者 個人 → 警察
プロガイド 個人 → 警察
流れ的には、個人もプロガイドも変わりがない? 連絡と言う面で見ると、直接警察に連絡した場合のほうが、通報と言う意味では早いのかもしれないと思えます。
■ ヤマレコやコンパスのメリット?
ヤマレコやコンパスのメリットは何なのか? たぶん、使う側の理由より、行政側の理由の方が大きそうですが・・・とはいえ、たぶん、計画書が電子ファイル化されていれば、検索で情報がヒットできるため、対応が容易で、結果としては早いかもしれません。
例えば、登山口で登山ポストに出す登山届では、人の目で一つ一つ見て、仕分けしなくてはなりません。私も登山前に登山ポストに登山届を入れて、下山届を出していないときがありましたが、連絡が来たことはありませんよね。
余談ですが、ニュージーランドでは、DOCと呼ばれる組織が全登山、入山を管理しており、下山報告を出さないとすぐ捜索になってしまうそうです。人口が少ないからやりやすいのかもしれませんが、進んでいますね~!
私が不思議なのは、山岳会に登山届を出していても、上高地でまた登山ポストに入れる登山届を書くのですが、あれって必要なんですかね?
≪まとめ≫
・(たぶん)電子化した登山届は、登山ポストより、遭難した時、情報の特定が早い
■ コンパス?
では、プロであるガイドさんたちは、どうしているのか?と言いますと…コンパスが推奨されています。
使用法はこちら: http://www.mt-compass.com/teishutsu.php
機能はヤマレコと同じです。
下山遅れを見逃さないよう、下山の確認を促すメールが各種設定したメールアドレスに自動送信される、という仕組みです。
機能を提供している側である、コンパスやヤマレコは、個人情報を一時的にプールしている、という訳ですね。いや~イマドキ、個人情報は宝の山です(^^;)。
コンパスはヤマレコと比べて後発のため、
1)既にある記録から、ルートをコピーして山行計画を作成する機能がない
2)登録されている記録数がヤマレコとくらべ少ない
3)そのため、参考にできる新鮮な登山情報が少ない
4)バリエーションルートが載っていない
という問題があります。ヤマレコのほうが、平たく言えば、使い勝手に優れています。
■ 地図共有や印刷がらく
私がヤマレコの計画書を使い始めたのは、
ヤマレコでは地図の共有が簡単だから
です。
個人山行では、カシミールで地図を印刷すればいいことなので、ヤマレコを計画に使ったことはありません。
登山では、一般に、地図は2万5千の地図を通常、携帯するのが常識です。
地図の準備は、人それぞれ好きなようにやればよいのですが、2万5千の地図は売っている書店が少ないです。
国土地理院の地図は、実は、インターネットで注文し、取り寄せもできます・・・が、今度は、インターネットが使えない、もしくは使いたくない人もいます。
あとは、明日行きたいのに、郵送を待っていては間に合いません。
国土地理院の地図は、無料で全て公開されており、ウォッチずにアクセスすれば、誰でもすぐ印刷でき、良い時代になったなぁ~という感じです。
昔の人はどうやって地図を入手したのだろう???昔より今の方が格段に2万5千の地図は入手が容易なのでは、と推察しています。
うぉっちずやカシミールより、地図印刷の敷居が低いのがヤマレコです。
ヤマレコは、該当するルートを中心にした2万5千の地図の印刷が1クリックででき、印刷領域を加減するだけで、必要な個所を印刷できます。
≪ヤマレコで2万5千の地図を印刷するメリット≫
・地図が無料
・印刷が容易
・共有が容易
・最新の地図が入手できる
・拡大縮小が容易
・すぐ手に入る
・計画書をそのまま山行報告書へ利用できる
・前に歩いた人のルートを計画書に転用できる
私はしませんが、GPSをダウンロードすれば、その軌跡をナビにも使えます。ただそんなことをしたら、前の人が歩いた箇所をなぞるだけの登山となり、何が面白いのかなぁ・・・となるので、そのような使い方はしたことがありませんが。
というわけで、非常に使いやすいです。
コンパスの方は、段々とヤマレコの登山計画書並みになってきているようですが、
・後発であることと
・お役所目線で作ってある
だけにユーザーの使い勝手よりも、どちらかというとお役所仕事的な感じが先立つようで、イマヒトツ、使う理由が見当たりません。
ヤマレコでもコンパスでも、自宅で印刷した地図は、紙の質が悪いですから、防水加工は工夫する必要があります。
≪自宅印刷のデメリット≫
・紙質が水に弱い
・A4やA3など、自宅のプリンターの印刷サイズ限定
・最新の2万5千の国土地理院の地図のように陰影がない
■ 提出先
計画書が手書きでも、エクセルでも、ヤマレコでも、…どこで計画書を作っても、提出する先は、登ろうとする山が存在する都道府県の警察署です。
なので大事なのは、どこの山がどこの警察署の所管なのか…です。
例えば、同じ赤岳でも、野辺山側だと山梨県警になり、美濃戸側だと長野県警になります。
ちょっと余談になりますが、捜索活動に慣れているのは、山梨側ではなく、長野側です…、残念ながら現実です。
でも、山岳県と言われている県はそう多くありません。山梨県の山はこちらのメアド。
kst-chiiki@pref.yamanashi.lg.jp
長野県警
https://www.shinsei.elg-front.jp/nagano/uketsuke/dform.do?id=1359683176274
こちらに全国の山と登山届の提出先をまとめたサイトがあります。http://campsite7.jp/2013/12/17/3482/
助かりますね~!ネットって素晴らしい~
関東で活動する山ヤに必要そうなところだけ、抜粋してみました。電話番号だけの県もあります。
119番みたいな通報しか受け付けないということなのかなぁ?基本的に登山届けよりも、遭難と確定した通報だけが欲しいのかもしれません。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【谷川岳】0278-72-3688(0278-72-3688#)
【埼玉】048-825-7166(048-832-0110#)
【富山】kenkei01@tpp.pref.toyama.lg.jp(076-441-2211#)
【剣岳冬季】富山市新総曲輪1-7(076-444-3399#)
【長野県】長野市大字南長野字幅下692-2(026-233-0110#)
【長野県】http://p.tl/H9ax(026-235-3611#)
【山梨】kst-chiiki@pref.yamanashi.lg.jp(055-235-2121#3576)
【静岡】054-271-3776(054-271-0110#)
【神奈川】045-211-1212(045-211-1212#3532)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
これらの電話番号は、リーダーとなった場合だけでなく、メンバーとしていく場合でも、スマホに登録して置いたほうが良いでしょう。
どうせスマホのメモリを使うなら、有益な情報に使いたいですよね(笑)。
古くなって要らなくなった交友関係を整理して、役立ちそうな番号を入れておくのが◎。
■ その他のおススメポイント!
私は必ず山行計画書は、
・自宅に1枚、
・車に1枚
と計3枚用意しています。登山口の自分の車のダッシュボード、見えるところに1枚入れておきます。
というのも、仮に山岳会の誰にも気が着いてもらえなかった場合・・・登山口に不審な車が何日もあれば警察に通報されます。その時、役立ちます。
また、車が限定できれば確実にそこに行っている、ということは確定になるからです。
・転進対策
よく登山では転進になります。一度八ヶ岳に行く予定で、太刀岡山に転進になったことがありましたっけ…。八ヶ岳に登っているとみんなは思っていますから、もし転進先の太刀岡で遭難したら、捜索先は八ヶ岳になってしまいます。
その場合でも、車がなければ、その山には行っていない。転進先の太刀岡で車があり、登山計画が外から見える状態にあれば、その山に入ったということで捜索範囲はかなり狭められます。
それ以前ですが、家の人に行先を告げるのは大事なことです。
私の場合は夫も地図を読めるので、バリエーションルートでも、夫が歩く場所を理解している、というのが安心の一つの材料になっています。
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