9/10/2015

渓流足袋の思い出

今日は、買い物ついでで、上州屋に立ち寄った。

私は買い物があまり好きでない。特にショッピングモールでのお買い物は、好きではない。かかっている大音量の音楽や、大量の品物に精神的な圧迫を感じる。実際、あれはそういう効果を狙っていると思う。

で、消費することを追い立てられているような気がして、大型店はキライなのだ。が、モールまで行かないと、カルディはないし、カルディVS成城石井だと、どう見てもカルディのほうが安い。それで、時々は、カルディに行かないといけないことになる。・・・ので、今日は、その仕方なしの買い物日だったのだ。

上州屋には、沢靴の交換フエルトを買いに立ち寄った。大峰のフエルトを交換しなくてはならないのだ。ボンドとフエルトで約3000円。

まだ10回程度しか沢に行っていないのに、私の大峰はもう張替が来てしまった。早いなぁ…。

フエルトの減りが早すぎる。これはフエルトの質にも因るのかもしれない。羊毛製はヘリが早いと言われているから。

その上、下山にも履きっぱなしにしたことが数回あったからなぁ…。最近、下山用に鋲付の足袋を履いたら、これが優れもので、ものすごくフリクションが良かった。ただ少し大きい。小さいのを買ったのだが・・・。

今日は上州屋で、渓流たびを履いてみたが、渓流たびは、S、M、Lのサイズ揃えしかなく、Sサイズでも、ぶかぶかで、とてもじゃないがダメだった。残念。

渓流足袋と言えば、思い出がある。

登山を始めてすぐの頃、「渓流たびってありますか?」と、上州屋に行ったら、「この世にそのような靴はない」と言われたことがあった(汗)。



今思えば、あれは、私のような小柄な女性が、渓流足袋が必要になるような活動をするのを阻止する目的だったのだろう。

同じようなことが冬山の手袋でもあった。当時肘まであるゴアテックスのグローブが必要だった。ラッセルしたとき、雪が入らないからだ。ところが、そんなものは必要ないでしょうと、けんもほろろな対応をされたのだった。

■ ガラスの天井

目に見えないバリア…よくガラスの天井に例えられる・・・が、登山をしていると、こういう風に、特段思いつく、否定的な材料がなくても、見くびられたり、なんだりして、希望する道にすすめないことがある。

頭っからあなたにはできないから、とツアーに誘導されるのもそうだし、自分で判断する、とか、自分の力で山に行く、などは、否定されがちだ。

最初の頃はそれは心配が作り出していることなのだ・・・と好意的に解釈していた。でも、どうも違うようだ。では、何が作り出しているのだろうか?

そのガラスの天井は、登山界のものなのか?というと、そうでもないようだ。というのは、私は帰省などで、大阪や東京を通る折に登山用品店に行き、異なる感触の接客を受けているからだ。女性の買い物客にも、きちんと対応してくれる。

もしかしたら、山梨県が他県と比べて保守的で、女性が登山をすることについて、理解がないのだろうか?

あるいは、単純に店員さん自体の知識量が都会と比べて貧弱なのかもしれない???

あるいは、客の無知に付け込んで、ツアーに誘導するのが良い商売となっているのかもしれない?

しかし、まぁ無知に付け込む商売は、どこにでもあるものかもしれない。

随分、前に新宿の有名な登山用品店で、「私は本格的な登山をするのですが…」と断って、冬靴を見に行ったら、買っても仕方のない、スカルパのファントムガイドを薦められてしまった。スカルパのファントム6000とファントムガイドでは似て非なる靴だ。

で、結局、そういう店員さんとは、もう話をしないことにしている。店員さんと意地の張り合いをしても仕方がない。

しかし、都会では隣の登山道具屋へ行けばいい程度のことだが、山梨ではそういう訳にはいかない。

というわけで、困ったな~と思うのだが、結局、そうなると、知識のあやふやな山梨では、心配過ぎて買い物できず、結局、都会で買ってきたりするので、こうした不可解な対応の原因がなんであれ、結果としては、山梨での商売は、ますます逃げて行ってしまっているかもしれない。

結局、一体誰が勝っているのだろうか? 謎だ。