9/06/2015

失敗の歴史

今日は甲府はまた雨・・・また夏に戻ると言う話はどうなったのだろうか・・・?!

・・・昨日は、良い歴史を振り返った。今日は、失敗の歴史を振り返ろうと思う。

■ 失敗の歴史

失敗と言えるかどうか分からない。しかし、登山1年目で、11月初旬、西穂丸山へ行き、易しく感じたので、さらに進み、独評手前まで行った。先行者は一人しかおらず、そのおじさんは、トレースが無くなったと前方で叫び、そうか、と思ってそこから折り返した。

夫は高所恐怖症があるので、わたしより下で折り返したがっていた。私の判断では、安全と感じたので、この時はそのまま進んでいる。初心者なので、ストックと6本のアイゼンだった。

西穂を選んだのは夫の選択。前の日はロープウェーで千石園地まで。翌日晴れたため、この山行になった。当時は、ザックを小屋において行けば楽だったなーと後で振り返るような初心者だった。

登山3年目で講習会に行った時、初心者で西穂丸山(独評)は、危険だと言われた。個人的な感想としては、その意見には心外だった。そこは小屋がある一般道だからだ。当時から用心深い登山者で天候はチェックしたし、無理はしていない。実際、危険は感じなかった。

しかし、無知の所産である、と言われたら、そうかもしれない、としか返事はできない。

その後、厳冬期八ヶ岳の、前三つ、三ツ頭に登頂したが、これも、世間?の大批判を喰らった。しかし、天気図を見ていき、天候は1月、2月でも、3月下旬並みだったりもし、その批判には大いに疑問を感じた。

冬の天狗岳は、6本爪アイゼンとストックで何の不自由も感じなかった。(当時は雪=アイゼンと教わっており、登山口からアイゼンを付けていた。)

ただ、12本爪アイゼンを持つ身となると、6本のアイゼンの出番は年間を通して、ほとんどない。

■ ザイルワーク

ザイルワークに関して、私の過去最大の失態は、生涯2度目の沢、芦沢横沢だ。

なんと、自分でエイトノットを解き、アンザイレンを解いて、ロープの交差を直し、再度エイトノットを結ぶと言う離れ業を核心部で、しかも片手でやってのけた。

その頃は初心者で、敗退の練習(懸垂下降)のために、その沢に行っていた。自ら命綱を解くという失態をしても、そうと知らず、帰ってきた。

その後、阿弥陀中央稜で一ピッチのセカンドの確保を経験したが、足元にしか確保支点になりそうなものがなく、自分が立つ位置が、セカンドの確保支点より下であるほうが楽だと言うことがまだ分かっていなかった。

確保では、通常の確保で、ロープが一度流れたことがあった。小川山の、小川山物語と言う課題で、先輩のコールより、リードで落ちそうになっている隣のクライマーに気を盗られたのだ。幸い、大事に至らず、ロープはすぐに握れたが、流れたロープは握り戻すのが非常に難しいと言うことは分かった。

その後その話は周辺のクライマーにして、「そうか、そういうことがあったのか」「グリグリ2を使うのもよいかも」などの反応だった。私は基本的には自分の失敗は人に言いふらしておくほうだ。

その後、アイスで行った小川山唐沢の滝では、セカンドの確保支点に、つららをつかった。丈夫そうな大きなつららだったが、もう一点、アイススクリューで取るべきだった。あとから「スクリュー持っていないのだとおもった」とセカンドに言われた。考えてみたら、スクリューは、ちゃんとぶら下げていたのだった。

懸垂支点は、2本のロープの結び目が、岩側になるようにして、岩側のロープを引くと、引っかからないのだが、なぜか逆になったことがあった。ロープが引っかかるようだと、ロープの回収不能になることがある。

沢では、マイクロカムを回収する際、回収ができなかったことがあった。その時は、ヌンチャクだけを回収し、カムとぬんちゃくセットで回収してきてほしいと言われた。

また、トップで懸垂で降りた先輩のコールが聞こえず、長い間、待って懸垂したことがあった。ロープを2度引いたら、OKという意味だそうだったが、そういうことは教わっていなかった。

■ 墜落滑落

瑞牆のカサメリ沢で、クライミングの帰りに、ザックの重さに体が後ろに引かれて、2回転半したことがあった。

その他、最近では、小常木沢でラバーソールが滑り、8m滑り落ちた。

どちらも怪我はない。身体が柔らかいのが幸いしているのかもしれない。

フリーでは落ちろ落ちろ!と言われるが、アルパインでは安易に落ちることは、慎まなくてはならない。

フリーの課題は、岩の弱点を突いて設定したものではなく、クライミングのむずかしさを求めたものが多いので、落ちながら上達する。

したがって、フリーで登れなくても、自分が下手だとか残念だとかは思わないが・・・落ちてナンボという、その価値観をアルパインに持ち込まないようにしたいといつも思う。

アルパインでは落ちたら一大事だ。アルパインや沢で落ちないために、フリーがあるのに、フリーでは落ちろ、というのは、本当に辞めて欲しいと思う。安易に落ちる癖をつけるべきではない。

■ 敗退

初めて自力で行ったズミ沢では、核心部の大滝で、ふくらんだところに残置ハーケンが見えた。それを目指して登り、進退窮まり、登れないので、懸垂して降りた・・・

それ以降、登る前によくルートを見るようになった。少しでも不安があれば、避けるようになった。

ある人から、私がザイルを欲しいと思う時に、めんどくさいからなしで登らせようとする人とは組まないようにアドバイスを受けた。

一方、なんでもかんでも出せという話になると困る。基準は、穂高の一般縦走路レベルでは出さない、が一般的、なのだそうだ。

安全に関する感覚は人それぞれだし、年齢や、雨、疲労、直前にコケた、高度感、などでも変わるので、怖いときに出せるのがロープの良いところなので、出せるときに出さない人ではありたくないと思っている。

■ リスク認識

一回目の鳳凰三山では、雨だった。これは天気を読めており、リスクを知っていて取ったので、厳密には挫折ではないが、夫が同じように天候リスクを認識しておらず、まったく備えがなかったために、彼にとってはコリゴリの山行になった。

私は雨の予報を聞き、ツエルト、細引き、ダウンのシュラフ、など、宿泊ができるくらいの装備を持って出たので、寒いと評判の小屋でもなんともなかった。が、そうではなく、八ヶ岳の汗をかくほど温かい山小屋に慣れた、夫は寒さに懲り懲りしたそうだ。

同じように、GWの仙丈ヶ岳でホワイトアウトしたとき、私は天候悪化や視界不良から逃げ切る脚力があったが、夫はそれがなく、ホワイトアウトを避けるために早く稜線から逃げる、ということができなかった。それだけでなく、ホワイトアウトしたらマズイ、という認識も彼は持つことができず、その認識の違いをあとで思い知った。彼はこの山に行ってはいけない人だったのだった。

この経験で、人にはリスクを受け入れられる量が、山への理解度とともに決まっているのだ、と思い知り、夫とは、小屋があり、衆人環視である、雪山以外行かないことにした。彼は自分に命の危険が迫っていても、それをキャッチすることができないからだ。

これは厳しい現実だったし、わたしにとっては大きな挫折だった。

その他、小さな挫折は色々ある。久しぶりにカラビナ懸垂のムンターを作ろうとすると忘れていたり、だ。

ロープワークは、いつもの道具でやっていると、いつも使わない道具のことは忘れてしまう。たまには使わないといけないものだ。

■ 失敗

山の失敗は、大抵は、山に行く前からスタートしている、と思う。

・計画に無理がある

・装備に不足がある

・メンバーの力量に不足がある

・気の緩みがある

・認識に不揃いがある

の5つ。たとえば、せっかく早起きしたのに、バスの時間が朝にはなく、バスの時間まで寝て待つことになったこともあった。

気の緩みは、アプローチの研究不足から、登山口に到達するのが遅れたり、忘れ物、につながる。

認識の不揃いは、例えばアイスに行くのに、登山靴やウエアを私から借りて当然だと請求されたことがあった。

力量不足は、認識の不揃いよりもマシだ。力量が不足(体力・クライミング力)は、行程を短くしたりと工夫すればよいことで、一般にフォローの人が考えるより、大きな問題ではない。それより無理をして、頑張って、突然不調に陥るほうがダメージが大きい。

ただ赤岳に登るのに、6本爪アイゼンで来る、トレースの無い雪山を登るのに地図を持たないでくる、などという致命的な装備不足になると、登山口敗退にせざるを得なくなり、パーティ全員の休日を無駄にしなくてはならなくなる。

失敗は人間にはつきもので、失敗すること自体は、悪いことではない。

しかし、自分の認識の甘さのために他の人の命を危険に晒したら、それはきちんと何が悪かったのかを反省し、二度と同じことをしないようによく考えて対策を練らなくてはならない。